(以下バージョン6.5前期までのネタバレがあります。)
「既視感」という言葉があります。
AさんがXという行動を取ったりYという言葉をしゃべった後で、
Bさん(Aさんとは会ったことのない無関係の人)がXという行動を取ったりYという言葉をしゃべったりすると、
「あれ、どこかで見たこと・聞いたことがあった気が……」という不思議な思いに駆られることがあります。
AさんとBさんは面識がなく、事前に打ち合わせをしたり同じ台本を持ったりしているわけでもない。
こうした謎の現象に、ストーリーを久しぶりにやり直している間に気付いた中から、いくつか実例を出してみます。
女神ルティアナ(バージョン6.4)
「たとえ 闇の底に落ちようとも
決して消えることのない 創生のチカラが。」
魔仙卿(バージョン5.0)
「たとえ 闇の底に落ちようと 決して
その光が 消えることはない。」
「創生のチカラ」か「その光」かの違いがあるくらいで、
その他の部分はほぼ一致しています。
神話時代の女神ルティアナと2代目魔仙卿は生きている時代が違うので会ったこともなく、
それにも関わらずここまで文が一致しているのはただごとではなさそうです。
ユシュカ(バージョン5.2)
「きっと ナジーンがいたら……
アイツも 同意してくれたはずだ。」
パドレ(バージョン6.4)
「もし ここに ファラスがいたら……
俺の決断に 同意してくれただろう。」
ユシュカとパドレは面識がありません。
「きっと…いたら…はずだ」「もし…いたら…だろう」という仮定文や、
従者だった死者の名前を挙げているところが共通しています。
不思議の魔塔『錬金術師ゾーネスの栄光 第5章』
「ビロンチョは 依頼にふたつの条件を出した。
ひとつは 千年後まで残る仕事であること。
ひとつは 誰も経験していない仕事であること。」
ヴィゴレー(バージョン6.1)
「誓いましょう。
千年続く王国と 永久の平和を……貴女に。」
ドルタム(バージョン6.5前期)
「うん! これで 修理完了!
ついでに 他のメンテナンスもやっておいたから
今後1000年くらい 問題ないと思う。」
ダンディオ団長
「世界を守る盾たらんと この地で戦いつづけた
ガーディアンに……我らが 1000年の間
研ぎつづけた牙に お前は敗れたのだ。」
詩人ナスガルド(戦闘終了後)
「キミはまさに 真の強戦士。
ボクは キミの物語……ベジセルクの戦詩を
千年のちの世まで 歌い継ごう!」
ドン・ビロンチョ。ヴィゴレー。ドルタム。ダンディオ団長。詩人ナスガルド。
5人は恐らく面識はなさそうで、「千年(1000年)」がセリフに織り交ぜられています。なぜ千年という言葉が出たんでしょう。
ホッツィ親方(クエスト202「アグラニに潜む影」)
「ううっ!イテテテ……。
やっぱ 大声を出すと キズが開く……。
……ィツツツツ……。」
「ううっ!イテテテ……。
今ので また キズが開いちまった……。
……ィツツツツ……。」
リシャス(夢現篇クエスト537「終わりなき夢の始まり」)
「イタっ……!
またも 指に さいほう針を刺しちゃいました!
てへへへ。失敗 失敗……。それはそうと……。」
「イタっ……! やっぱり 指に
さいほう針を刺しちゃいました!
てへへへ。失敗 失敗……。それはそうと……。」
接点のないホッツィ親方とリシャスの痛がりのくり返し方が、わかっているのにくり返してしまった、という点で似ている上に、
ホッツィ「やっぱ」「また」
リシャス「やっぱり」「またも」
と痛がり方をくり返す際のつなぎ語がほぼ同じです。
このように、ただの偶然とは思えないほどの、行動や言葉などの一致する現象のことを、
精神科医・心理学者のユングが広めた概念で、「共時性」と言います。
「意味のある偶然の一致」「二度あることは三度ある」「シンクロニシティ」などとも言い、
行動や発話をする者同士が無関係なのにも関わらず、行動や発話に類似性が見える現象です。
この理論が掲載された本の邦訳は『自然現象と心の構造』で、サブタイトルが「非因果的連関の原理」といいます。
時元神キュロノスが「因果律」、キュレクスが「運命」と言ったような、「AなのでB」という因果関係。これに縛られない「非因果」の理論です。
数万年前の女神ルティアナが「たとえ闇の底に落ちようとも」と口にしても、現代の魔仙卿が「たとえ闇の底に落ちようと」としゃべることに対して何の影響もありません。
しかし、酷似した表現である非因果律の観測者、つまり主人公は確かに存在しています。
意味のある偶然の一致(共時性)について(その2)へ続きます。