劇場に歌声が響く。
天を見つめ、瞳を輝かせる歌い手の名はプレシアンナ。私は立見席からその姿を眺めていた。
『空見る瞳は、その空よりも、もっと美しいもの……』
プレシアンナは空を見上げる。観客はプレシアンナに見惚れる。
こうして最後列から全体を眺めていると、劇場の視線全てを彼女が独り占めにしていることが分かる。
今日の演目はミュージカル仕立ての芝居で、彼女は愛と希望を歌う主人公として舞台に立っていた。
彼女の舞台があると聞き、その腕のほどを確かめてやろうと、私はここにやってきた。
もっとも、私は批評家の真似事ができるほど、芸事に通じているわけではないのだが……
「なるほど……」
客席から少し離れてひとりごちる。
彼女の演技は、素人目に見ても見事なものだった。天才の名は伊達ではないらしい。
と……
私は同じく少し引いた場所から舞台を眺めている男の存在に気づき、見覚えのあるその顔に慌てて会釈した。
彼もまた、私に気づいたようだった。
「あんた、確か……」
「ご機嫌麗しゅう……」
「おいおい、お忍びだぜ、魔法戦士サンよ」
彼は片目をつぶると口に指をあてて、その指を左右に振った。
そして一瞬、真顔に戻る。
「……何かあったのかい?」
「いえ、私用です」
「そりゃ、よかった」
細い眼が緩む。
「ただでさえ大変な時期に、魔法戦士団が動かなきゃならないような事件でも起きてたらどうしようかと思ったぜ」
「ご心痛、お察しします」
「なあに、いつものことさ」
男は再びステージに目をやった。
「ま、たまの息抜きに観劇ぐらいしなきゃな」
「いかがですか、この舞台は」
「評論家じゃあねえよ、俺は」
そう言いつつも、彼の細目は鋭く舞台に注がれていた。単なる観客ではない、芸事を知る男の目である。
芝居は次のシーンへと移り、セピア色のライトが舞台を照らし出した。演奏はもの悲しい色を帯び、プレシアンナは哀愁の物語を歌う。
『季節をたたえて、咲き急ぐ花たち。その花についてる、もう一つの名前は……』
客席は一転、涙に包まれる。歌ひとつ、表情ひとつで世界を一変させる、彼女はまさに演出空間の支配者だった。
「プレシアンナってのは、あれか」
「ええ」
私は足元の男に頷きを返した。
「いかがです?」
ふむ、と男は腕を組む。そして、いつもそうしているように小さな体にダンディな雰囲気を漂わせながら、ニヤリと笑った。
「ま、一言でいえば、完璧だな」
男は大きく腕を広げた。やけに、芝居がかって。
「芝居も完璧。踊りも完璧。歌だってパーフェクトだ。欠点なんてないんじゃないかね」
「しかし、その言葉には含むところがあるようですな」
「と、思うのはお前さんの勝手さ」
細い目がますます細くなった。
やがて舞台はクライマックスへ。他の役者もそれぞれの見せ場を演じるものの、プレシアンナの輝きの前では霞んでしまう。観客の目は彼女に釘づけだ。まさにスーパースターといったところか。
大したものだと思う。だが、隣の男はプレシアンナの独り舞台を難しい顔で見守り続け、芝居が終わるのを見届けると、ぽつりと言葉を漏らした。
「……こいつはただの雑学だがね」
「はい」
私が顔を覗き込むと、彼は人差し指を立ててチチチ、と横に振った。
「サーカスじゃあ、空中ブランコができて一人前ってのが、どっかのサーカス団のモットーさ」
言った後で、彼は照れくさそうに苦笑した。
「ちょいと、喋りすぎたかな」
薄桃色のシルクハットをかぶり直し、そのプクリポは去っていった。
舞台では、プレシアンナが万雷の拍手を独り占めにしているところだった。