Q484は機械仕掛けの月を見つめる。ライトグリーンの双眸が機械的に点滅するたびに、サーチライトが月の表面を走査する。
竜族の少年はQ484と月を見つめる。大きな眼鏡の奥で大きな瞳が輝くたびに、彼の中の好奇心が倍倍算式に膨れ上がる。
R・ジスカルドはQ484と少年と月を見つめる。モノアイがガチャリと音を立てるたびに、セキュリティ情報が更新されていく。
「月が作り物だったなんてね……」
サジェ少年は硬質な"月"に手を触れて呟いた。
その声に失望の色は無い。むしろ逆だ。
瞳には驚嘆と好奇心が。口元には抑えきれない笑みがある。
誰かが、伝説の楽園を造った。ならば、いずれは自分達も同じ高みに昇ることができるはずだ。
少年の若い希望が彼の心を弾ませたのだ。
私はその若さを好ましく感じた。
「それにしても、ここはやけに明るいね」
と、彼は手をかざした。
彼の言う通り、頭上には闇の領界……いや、ナドラガンドに来てからこの方、拝むことのなかった光景が広がっていた。
「大きな天井から、光が降り注いでいる」
とは、サジェ少年の台詞だ。
「空です」
「空?」
「はい、我々の住むアストルティアは闇の領界とは違い、頭上を天井に囲まれていないのです」
と、サジェの眼鏡が空色に染まり、大きな瞳が宙に吸い込まれていくのがわかった。
今、彼は自分の常識の外側に思考を飛ばし、想像力を解き放っているのである。
どこにでもいる、夢見る少年の瞳だ。
「じゃあここはその、アストルティアっていう世界なのかい?」
さて、それだ。私は首をひねった。
ナドラガンドでまともに空を見るのは初めてだ。
ここがアストルティアと地続きの世界で、アストルティアのどこかの地下に闇の領界が存在する、という考え方も確かにある。
だが、私はこの空の違和感に気づき始めていた。
空を走るライトグリーンの線。
空に区切りがある。うっかりすると見落としそうになるが、この空は網目のようなマスに区切られた空なのだ。その模様は甲羅のようにも鱗のようにも見える。
「ヘックス模様ですね」
と、ジスカルドが指摘した。
「仮想空間を区切るために使われることの多いマス目です」
という彼の言葉の意味は、私には正確には理解できなかったが……。
この楽園は、透明なドームに覆われた空中都市なのだろうか?
だが、それにしては風を感じる。稀に雨さえ降る。外界から隔絶されているという印象は無い。
だとすると……
私は空を見上げた。高く広がる空。あの空すら作り物だとしたら?
外に見える景色は、升目に描かれたただの絵で、実際には空など無いのではないか。
突飛な空想にも思える。だが月が作り物なら空も作り物だとして、何がおかしいだろう。
今度は私が自分の常識を疑う番だ。
「Q484は何か知ってる?」
少年は楕円形の重金属に話しかけた。
「最優先事項、浄化装置ノ修復。回答不要ト判断」
ロボットは振り向こうともせず作業を続行した。
「我々ロボットは、人の命令に従うようにできているはずなのですが……」
R・ジスカルドは首をかしげる動作をした。頭部ユニットをずらす動作がそれだ。
「彼はどこか故障しているのでしょうか」
「そんな風には見えないけど」
少年は一人前に腕組をしてみせた。
「ねえジスカルド。命令に従うっていうなら、既に従ってるんじゃないかな。月を修復しろっていう命令が先にあったから、僕の言葉よりそっちを優先してるだけなんだよ」
「成程」
モノアイが頷く。
「合理的な見解です」
機械からの率直な賛辞を受け、少年は鼻の頭を擦った。
「将来は学者にでもなれそうだな」
私が後ろからポンと頭をなでてやると、サジェは途端に不機嫌な顔になった。
「お世辞なんて言わなくていいよ」
私の手を振り払ってQ484を追いかける。……どうして私だとダメなんだ?
「彼の相手は、私がした方が良いようです」
青い機体が少年を追いかける。
若干の嫉妬をこめた眼差しで、私は彼らの背中を見送るのだった。