私は暴力が嫌いです。
好きだと大っぴらに言う人間は
まず居ないかもしれませんが、
暴力を振るっておきながら、
それを自覚できないものも嫌いです。
ですから、ランガーオの長クリフゲーンが
大嫌いです。
軽蔑の念すらあります。
そして彼を擁護し
あの地位につかせ続ける老人たちも
同様に嫌っています。
クリフゲーンはガガイの父親を
こともあろうか殺しています。
過失とはいえ殺しているのです。
殺しているにも関わらず、
「それが許された時代だったから」と言い訳し
村の長の地位につき続けており、
古い村民たちもそれを知っていながら
彼の地位を黙認しています。
非常にグロテスクで無法なムラ組織だと思いました。
父親を殺されて路頭に迷うところに
無関係であるはずの母子を巻き込んで
敗北者を蔑む村人から
凄惨な虐待を受け
母親をも殺された子供が、
何一つ謝罪をしてくれた訳でも
子供に問題の歴史を教えようとしたわけでもなく
だんまりを決め込む村民と共に
住み直したいと思うでしょうか。
僕なら絶対にお断りですね。
ガガイがクリフゲーンの
村に住まないかという誘いを跳ね除け
村を滅ぼすことを望んだのは
当たり前の行為でしょう。
この村の人間は誰一人として
己の侵した暴力の責任を負わずに
ガガイとその両親に暴力を奮い続けたのですから。
憎悪の連鎖というのはいつか断つべきものですが
悪徳を犯した者がいつまでも同じように
人に指示を下せる高い地位に着いていることは
元来許されません。
加害者を許す権利があるのは
加害者自身ではなく被害者だけです。
ギュランが村王の宿に泊まることを
勧めてくるのは苦痛でした。
真に選択肢があるのであれば断りたかったですね。
10年近く側近を務めさせた彼にこのことを話さず
地位に着き続けたクリフゲーンからは、
罪悪感と言うよりは自己中心的な
隠蔽体質を感じて非常に腹が立ちました。
ガガイはまだ誰も殺していませんでしたが
クリフゲーンははっきりと人を殺しています。
ガガイは自ら暴力の罪を自覚して消えたのに
なぜクリフゲーンは地位を剥奪されないのか
なぜ自分から地位を下りないのか
私には全く納得できませんでした。
クリフゲーンの罪を許せるのは
クリフゲーンでも村民でもギュランでも僕でもなく
ガガイ1人だけですし
ガガイが許したとしても、クリフゲーンは
人に指示を出せる地位に着くべきではないでしょう。クリフゲーンをあの地位につかせ続けることは
村民がガガイに行った虐待の隠蔽を
擁護することでもあると思います。
案の定年老いた村民は
何も知らない村民に混じって
クリフゲーンを庇いだてましたし
クリフゲーンの殺人は結局村の誰にも指摘されず
うやむやに片付けられてしまいました。
ガガイの決死の決闘を
ただの組手のように片付けてはしゃぐ村民は
グロテスクが極まり、苦虫を食わされるようでした。
クリフゲーンや村民が
死ぬことを望んだりはしませんが
この村は二度と行きたくないくらい
嫌いになりました。
このシナリオを書いたのは誰なんでしょうか。
非常に胸糞悪いことこの上ありませんでした。
ランガーオの山は雄大でこんなにも美しいのに
細かいことを気にしないという村のオーガたちは
忘れてはならないことを忘れ、隠蔽し、口をつむぎ、これからも形を変えて
弱いものを殺し続けるのかもしれないと
思えてなりません。
もしこれがクリフゲーンの人徳を美しく描いた
つもりのシナリオであれば
それは最悪な形で失敗しているでしょう。
苦虫を無理に食わされて「どうだ、甘いだろう」と
高笑いしながら言われている気分になる
酷い話でした。