おそらく、このシナリオを書いた人物は
自由と無秩序を履き違えている。
自由とは何もかも自分の手でやらなければならない
ということではない。
それはただの無法、無秩序という。
自由とは選択肢がより多くあるという社会的環境状態のことである。
古き中国において「自由」と語られるものは
身勝手など法を外れた振る舞いをさしたが、
現代における自由は
良心とより良い生活のために
行使されるものである。
自由は、人間社会に限定されて生じた
時代と共に改善される社会通念であり、
言葉による法を共有できない
獣の弱肉強食の世界に
明確に反旗を翻している。
自由には、より多い選択肢が与えられねばならず、
法や文明や社会性、福祉から離れた自由人の集落は
自己責任論と最低限の衣食住の確保に忙殺され
結果的に謳歌できる自由の多くを捨てていた。
他者の自由を阻害する悪法を重ねた王国に
嫌気を覚えて出ていくまでは良かったのだろうが
ここの「自由人」たちは
法が自由をも作るということを
理解することは終に無いのだろう。
若い子供であるホムディの
これが自由なのかという疑問と
不安げな口ぶりは
真に迫ったものがある。
ここに自由なんてないよ、
衣食住を確保するだけで
時間が終わってしまうなんて場所はね。