クオードが死んだ。
キューブ状の敵対者から
姉メレアーデを退ける囮になるために死んだ。
だが彼が死んでいく様を見ても、
死んだ眼を見ても、思うのは、
「何も悲しくなってやれなくてすまない」という
メレアーデ嬢への僅かな申し訳なさと、
クオードへの怒りと失望、
ドワーフ達への憐憫だった。
クオードに対して
私は悲しみも涙もくれてやれない。
私はクオードが自国の未来を憂いながら
姉に許しを得られて死んでいくのを見ながら、
彼に一夜にして根絶やしにされた
幾千のドワーフ達を思っていた。
メレアーデが許しても
私がクオードを許さない。
他の誰が許しても
人として永遠に絶対に許し難い。
(クオードを擁護するような人間諸君は
分からないかもしれないが、オーガは「人」だ。
そしてドワーフも「人間」だ。)
メレアーデが彼の罪を許すというのは
ドワーフ達の虐殺を許すということだ。
私はクオードという男を到底許し難い。
メレアーデが許そうと
彼に対して言ったことすら許し難く、腹立たしい。
メレアーデは己の知らない人々の無数の死よりも
クオードという差別主義者の殺人鬼を選んだのだ。
私はメレアーデにクオードと共犯者に
なってほしくはなかった。
彼女こそが王にふさわしいと思ったからだ。
だが彼女もどうやら自国にしか
興味がなかったらしい。
はっきり言うがクオードは
私にもわかる明確な差別主義者だ。
私はクオードが好きだった。
己の劣等感に苛まれながらも、
吃音症や、失敗の多いものたちに
チャンスを与え、褒め、場を与えてきた。
そういうクオードが好きだった。
だがそうした寛容さは
どうやら自国の人間のみ、
それも人間だけに与えられるらしい。
そして他国の人間には
積極的に暴力を振るうことを肯定するのだ。
殺人という究極の暴力を。
私はドワーフ達が好きだ。
権力者たちよりも一般の民衆が好きだ。
なぜなら私はなんの権力も持たない
ただの一般人だからだ。
なぜ、彼の民衆虐殺を許さずに、
治世の能力や権力をクオードに与えずに、
それでも贖罪をさせることや
生活を支えるということが
この国の王族たちはできなかったのだ?
ドワーフたちは友好的な条約を交わそうとしていた。たとえそれが一時のものであったとしても、
たとえ条約が叶わなかったとしても、
何よりも耀かしい、
民を思う優れた行いをしようとしていた。
それをクオードはかまいもせず殺して捨てた。
「自国を思い」無数の他国の人間を殺してきた。
しまいには一夜にして国諸共人々を消した。
私はオーガだ。
100年前、故郷をおわれた人間を
故郷に受けいれたあげく、
人間に騙され、人間に虐殺され、
国を追われた歴史を持つオーガという種族だ。
(詳しくはバージョン1の100年前のオーグリードのシナリオにある)
私はクオードの虐殺を擁護するもの全てを
憎悪し軽蔑する。
そして私は、半分はエテーネの王族で、
クオードは従兄弟にあたるらしい。
だがこんな風に無数の人間を虐殺してきた人間が、
身内として、
法制を操作する権力者として、
「愛国者」などと自称して隣にいるなど、
おぞましいことだ。
こんな歪んだ人間に「愛」される国は、国の人々は、
とてつもない不幸だ。
オーガとしても、
エテーネの子孫の立場としても、
物語を読み進めた読者としても到底許し難い。
…私はクオードを殺したい訳では無い。
そんな気は到底起きない。
なぜクオードを、殺さずに、許さずに、
民を好き勝手に扱う王政権力を与えずに、
彼の贖罪を支えることが出来なかったのかと思う。
クオードは結局民への贖罪、責任などと言いながら、もともとは民である兵士を駒のように扱い、
結局萎縮して姉に励まされ、
姉に助言を貰ってやっと動き出す。
彼が己の権力を手に余らせているのは明白であり
あの時点で最も王にふさわしかったのは
メレアーデだった。
なぜこの国はメレアーデという
より優れた指揮能力のあるものを
王にする発想がなかったのだろう?
エテーネ王国は劣悪な独裁者の歴史ばかりが血族として続く。
私と同じ立場である民はそこに付加するオマケのように扱われ、抵抗を見せた歴史は見受けられない。
それこそエテーネは王政の独裁主義をきっぱりとやめ民主主義にでもなってくれればよかった。
「個人個人が自分で考える」というのであれば、そうしてほしかった限りだ。
クオードが死んだ。だが彼は幸せだろう。
ドワーフを虐殺し、反省をすることもなく、
ドワーフの皇女の裁きから逃げおおせ、
故郷の民衆は誰も彼もが己を擁護してくれたし、
最愛の姉を庇うことが出来、
姉は虐殺すらも許す、全てを許すとまで言った。
私が同情や愛のいっさいを傾けなくても、
クオードは幸せだろう。