ヴァレリアは暴君だ。
弱肉強食を「ルール」として信じこみ、
民にも国にもそれを強要し、
気に食わぬもの、歯向かうものには
容赦なく刃を向けて切り捨てる。
住まうものはみな他者の暴力におびえながら、
己より弱いものに拳を振るい、
毒を浴びせ、罵倒や呪いを吐きかける。
ヴァレリアの圧倒的な力にだけは
すべての国民がひれ伏すらしく、
彼女の目が届く範囲は
一見統率があるかのように見える。
ヴァレリアは暴君だ。
弱いものはことごとく死ねと言い、
弱肉強食こそ美徳だという。
だからヴァレリアがいなくなった時、
弱いものから強奪と暴力の限りを尽くした
あのやくざものたちは、
実に忠実にヴァレリアの教えを
守っているだろう。
だがどうしたことか、
ヴァレリアは誰も傷つけあわず、
優しさを共有しあう世界に憧れがあり、
その理想の為に強くなり、
統治を行っているのだという。
なんと孤児院の運営にも国民には内密に
携わっているというのだ。
そしてヴァレリアは、
自身の弱肉強食という考えを
忠実にこなす臣民たちに怒りを向け
自分の足元に跪かせるのである。
これはなんともおかしな話だ。
これでは民が混乱するのも仕方がない。
ヴァレリアは弱いものは死ぬべきだと
教えたはずだ。
己に逆らう弱いものは
己の力で好きに嬲り殺してもよいと
触れ回ったのはヴァレリア本人だ。
狂信的に子供たちを焼き殺したヤイルも、
ヴァレリアに追放された
己の身内だけを愛する狂った獣の兄弟も、
ヴァレリアが消え弱者に暴力を振るわんと
はしゃぎまわるやくざ者の国民たちも、
ヴァレリアによって生み出された
「バルディスタらしい国民」だ。
ヴァレリアが己のいびつな
矛盾した思考に気づけない限り
ヴァレリアの愛する理想は
はるか遠くで輝く星のような
夢物語でしかない。
彼女は孤児院にいたような子供たちが
大人になった時も、
きっと無慈悲に殺すだろう。
他ならぬ己がそう育てたなどとは
到底信じないまま。
……蛇足になるが
彼女は部下にも恵まれていない。
「荒療治」とのたまって
殺戮や拷問を楽しむ兄弟を
平和な村にけしかけるベルトロは
卑劣で残忍にして浅はかであり、
彼女の理想国家への道を
永遠に阻害し続けるだろう。
日常的な暴力は
彼女や国民の思考を奪ったのだろうか。
トポルの街がなぜ善良に満ちているのか
分からない限り、彼女は矛盾した
悲しい暴君であり続けるだろう。