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一人前の庭師

フィンク

[フィンク]

キャラID
: DK849-813
種 族
: 人間
性 別
: 男
職 業
: 魔剣士
レベル
: 130

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フィンクの冒険日誌

2023-08-31 14:20:19.0 2023-08-31 15:05:07.0テーマ:その他

平家の興亡 後編

前編は、平家の興亡のあらましを書いたので、
後編は、その解説編としたい。


僕は、ただの昔語りがしたくて、
平家の興亡を書いたわけではない。


平家が歩んだ失敗の道を省みる事で、
現代にも通じる普遍の価値観について、
考えるきっかけにして欲しいと思ったからだ。



では、順に見て行こう。



冠位を賜り、貴族の仲間入りを果たした平家は、
位の高い古くからの貴族達を蹴落とす事で、
さらに、成り上がっていったわけだが、

ここで、念頭に置いて欲しい概念がある!


それは、しばらく前に書いた冒険日誌、
「思考と性格の形成」の中にある。


僕は、そこで、

「生物は、

「思考が変われば行動が変わる」
 という側面よりも、

「行動が変われば思考が変わる」
 という側面の方が強い。」

と述べた。


つまり、古くからの貴族達を蹴落とす、
という暴力的な行為が、

平家自身の思考や内面において、
壮絶なる悪影響を与えた、という事だ。



例えば、多くの人は、

この世の中から、悪い奴らを一掃すれば、
世の中は、もっと良くなるのではないか?
と、一度は考えた事があると思う。


しかし!

その際の暴力的な行為が、
それを実行する者の内面に、
著しい悪影響を与え、
その者を変貌させてしまう。


しかも、それが、権力者であれば、
次世代の利害関係を巡り、争う事にもなる。


結果的に、支配者がいなくなるわけではなく、
ただ、交代しただけになるのだ。



そして、その様子を、
傍から見ると、あたかも、
暴力性が乗り移っているようかに見える、
というわけだ。


それ故に、平家は、
古くからの貴族達に巣食う魔物が、
乗り移ってしまったかのようになったのだ。



次に、つい人間が陥ってしまう、
「幸福観」というべきものについて述べたい。


僕は、「進化の脳科学」の中で、

「古い脳が、
 欲望を満足させる事で、
 幸福感を得るのに対し、

 新しい脳は、
 他者との繋がりの中で、
 自らの役割を見出し、幸福感を得る。」


「欲望を満足させる事で得た幸福感は、
 一時的なものに過ぎず、

 他者との繋がりの中で培う自己実現は、
 継続的な幸福感を伴う。」

と述べた。

多くの家や国が興り、滅んでいった。

繁栄を極めるのも、ほんの束の間に過ぎない。

誰でも、栄光を掴んだ瞬間で、

時を止めたいと思うかもしれない。

だが、それは、決して、出来ない事なのだ!



現代でも、一角の成功を収めた者が、
「有頂天」から「奈落」へと堕ちていく、
その有様を見かける事は、めずらしくもない。

結果だけを見ると、
その者達は、

最終的に、不幸になる為に、
一時的な栄光を掴み、
その為に、血のにじむ努力をした事になる。



僕らが目指す幸福は、
果たして、それでいいのか?!



多くのマンガやドラマで、
「逆境にあっても挫けない事」の、
重要性が訴えられているが、


もしかすると?!
「絶頂にあっても奢らない事」の方が、
実のところ、難しいのではないか?!


考えようによっては、
栄光を掴んでからが、
本当の試練とも捉えられる。



では、これらの事を、
仏教的な解釈で、捉え直してみよう。


「欲望を追求し、満足させる幸福観」では、

人は、
「怒り、貪り、愚か、妬み、平穏、喜び」、
この六つの生命状態をぐるぐると巡り、

幸せを、築いては壊し、築いては壊し、
ひたすらに、浮き沈みを繰り返している、
と考えられている。


これを「六道輪廻」と呼び、
このサイクルから脱却する事を、「解脱」と呼ぶ。


つまり、仏教とは、
「欲望を追求し、満足させる幸福観」に、
明確な限界を悟り、

「では、どうするか?」
という模索の中から誕生した教えでもあるのだ。



さて、もう既に、
「進化の脳科学」の中に、
その答えの一端を、書いてはいるのだが、

「他者との繋がりの中で培う自己実現」こそが、
その柱になってくる。


「自己実現」という概念は、
心理学者のマズローが提唱したものであり、

彼は、自己実現に至る過程として、
欲望を満足させる事を、否定はしていないが、

その欲望の奴隷になったり、
あるいは、他者に害を及ぼしたりはしない、
制御するべき対象として捉えている。



さて、再び、話を平家へと戻すが、
平家の最大の失敗、


それは、人を育てる事が出来なかった事だ。


ただ、身体を大きくすればいいわけではなく、
知識や技術を詰め込めばいいわけでもない。


正しい幸福観を教え、心を育てる。
仏道、と言っても、
つまるところ、ただ、それだけの事。


だが、それが、
恐らくは、現代でも、一番難しいはずだ。
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