別に「キャラバンハート」の話ではありません。
小沢健二もキライだし。
とは言え、個人が好いていようが嫌っていようが世界は変わらないのもまた事実。
個人を束ねてそこにムーブメントが生まれれば、世界を変えてゆくこともできるかもしれないけど、しかし今度は人が集まってしまえば「個人の理念」が消えて行ってしまうこともまた必然。
これを「システム化の理不尽」と呼ぶのかも。
えっと、あれだ、社会学で言うところの「メガマシン」。
ゆえに、いくら犬が吠えても、キャラバンの歩みを止めることはできないし、犬の望むような変革は起こらない。
なぜなら、犬はいつだって与えられる側であり、与える側にはならないからだ。
物事を変えたければ「与える側」に立つしかない。
HIPHOP的に言うならば「ゲームのルールを作る側だけが車に乗ることができる」のだ。
犬には犬の、人には人の悲しみがある。
違うのは、涙を流すか流さないかだ。
だから、犬と人は交わらない。
分を過ぎれば「死」という結末があるだけだ。
犬にも、人にも。
え、ドラクエの話じゃないのかって?
これはドラクエの話だ。ドラクエ10のね。
犬にも、人(商人)にもなれないのなら、キャラバンのどこにハートを置くのか?
それがゲームとの適切な関わり方(あるいは距離)と言うものさ。
あら?「キャラバンハート」に落ち着いた。
(キャラバンハートの「英雄たちの去ったのちの世界」ってキミ好みじゃん)
(リメイク待ってます)