第二章 知恵という苦しみ
人間は知恵を持っている。
その知恵で道具を作り、街を築き、海を渡り、空を飛ぶようになった。
けれど、その人には一つの疑問があった。
「知恵が増えれば、本当に幸せになるのかな?」
人間は、喜びを知る。
美味しいものを食べれば、また食べたいと思う。欲しかったものを手に入れれば、次はもっとよいものを欲しがる。
幸福を手に入れれば、それを失うことを恐れる。
そして、どれほど幸福でも、いつか死ぬことを知っている。
だから人間は、まだ起きてもいない未来のことで苦しむ。
その人は、街を歩きながら人々を眺めた。
富を持つ者は、それを失うことを恐れていた。
貧しい者は、持たないことに苦しんでいた。
争いに勝った者は、次の敵を警戒していた。
争いに敗れた者は、復讐を願っていた。
誰もが何かを求め、何かを恐れていた。
もちろん、幸福そうな人々もいた。
子供と手をつないで歩く親。
恋人と笑い合う若者。
長い旅から帰ってきた家族を迎える人々。
けれど、その喜びを知っているからこそ、失ったときには悲しむのだろう。
何かを大切に思うほど、それを失うことへの恐れも大きくなる。
「知恵って、厄介なものだねえ」
その人は思った。
人間は世界を理解するために知恵を使えるはずなのに、その多くを、自分の欲望や正しさを証明するために使っている。
そして、知れば知るほど新しい苦しみが生まれていた。
いつか死ぬと知っている。
世界には自分より豊かな人間がいると知っている。
自分の幸福が、どこかで誰かの犠牲によって支えられていることもあると知っている。
知らなければ苦しまなかったことまで、知ってしまったがゆえに苦しむ。
人間は、その苦しみから逃れるために、また新しい知恵を求めた。
宗教を生み、哲学を築き、救済の道を説いた。
ある者は欲望を捨てよと言い、ある者は正しく生きよと言った。
しかし、その人は考えた。
「それだって、人間が考えた答えなんだよねえ」
どれほど立派な教えであっても、その先に本当に救済が存在するのか、確かめた者がいるのだろうか。
そもそも、何をもって救済と呼ぶのだろう。
苦しみをなくすことなのか。
苦しみを受け入れることなのか。
それとも、何も求めなくなることなのか。
考えれば考えるほど、疑問は増えていった。
そして、その疑問を考えている自分自身もまた、知恵を持った一人の人間なのだった。

原典
https://x.com/aphrocyan/status/2111649459809681642
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