第一話 木こりの青年
静かな山あいに、霧に包まれた小さな村があった。
石と木で造られた素朴な家々が寄り添うように並び、花咲く小径の先には、ひっそりと佇む祈りの祭壇。
そこには、錆びついた斧がひと振り、誰の記憶からも忘れられたように祀られている。
この村に暮らす青年――リクは、朝日が昇るよりも早く起き、山へ向かっていた。
彼は木こりだった。
逞しい体つきではないが、斧の扱いにかけては誰にも負けない。
太い丸太を斧で割り、薪にして村へと運ぶ毎日。
過酷な労働だが、リクは一度も弱音を吐いたことがない。
……いや、吐けなかった。
病弱な妹――ティナを、一人で養っていたからだ。
両親はすでに他界し、頼れるのは自分だけ。
斧を振るう以外、生きる術を知らぬ彼は、わずかな収入で妹との暮らしを支えていた。
けれど、リクはこの生活を辛いとは感じていなかった。
山仕事を終えて帰ると、いつもティナが笑顔で出迎えてくれたからだ。
「……おかえり、リクおにいちゃん」
「ただいま。今日はよく眠れたかい?」
「うん、夢を見たの。おにいちゃんが金色の光に包まれて、空を飛んでたの」
リクは少し照れくさそうに笑う。
妹の夢の中の自分は、きっと勇敢で、誰よりも強いのだろう。
――だけど、本当の僕はただの木こりだ。
「兄ちゃんは、そんなにかっこよかったかい?」
「うん、とーっても!」
ティナの笑顔に、リクも自然と笑みを浮かべた。
「そうか……じゃあ、ティナは兄ちゃんが守ってやるから、安心していいんだぞ」
「うんっ!」
そう言ってティナは、リクの胸に顔を埋めた。
両親を失ってからというもの、彼女は以前にも増して甘えん坊になった。
「おやすみ、ティナ」
「おやすみ、お兄ちゃん」
吹きすさぶ隙間風が騒ぐ古びた家の中、二人は身を寄せ合い眠りについた。
***
翌朝、一人の旅の女性が村に現れた。
漆黒の長髪、凛とした瞳、背には重厚な盾を背負っている。
彼女の名は――セリア。
「私は巡礼者。しばらく、この村に滞在させてくださいな」
そう口にした彼女は、たちまち村人たちの信頼を得た。
魔物を退け、村の子供たちに読み書きを教え、時には薬草を探して手当てまでする。
リクが彼女に声をかけられたのは、薪を山から運んでいる途中だった。
「ちょっと、いいかしら?」
「え……な、なに?」
振り向いたリクは、美しい彼女を前にして体が強張った。
返事もどこかぎこちない。
「祭壇に祀られていた斧について、知っていることを教えてほしいの」
「あれ?……僕が物心ついた頃にはもうあったよ。でも、それ以上のことは……村長に聞いた方がいいんじゃないかな」
「もう聞いたわ。みんな、あなたと同じ答えだった」
肩をすくめて笑うセリアに、リクは戸惑いながらも軽く頭を下げた。
「そう…じゃあ、僕はこれで――」
「待って。あなた、ティナって子の兄よね?」
その言葉に、リクは目を見開く。
無言で頷くと、セリアはやさしく微笑んだ。
「病気で家から出られないって聞いたわ。その子に、文字を教えさせてくれないかしら?」
「……なんで?」
「学ぶ権利は、誰にでもあるものよ。それに、私の使命でもあるの」
セリアの言葉の意味はよくわからなかったが、ティナにとってきっと良いことだと思えた。
リクは少し逡巡してから、静かに頷いた。
「……わかった。じゃあ、こっち」
重い薪を背に、リクはセリアを家へと案内した。
こうして――運命の糸は、静かに結ばれ始めた。