閑話 黒き霧の向こうに
ドルワーム王国。
その最奥にそびえる賢者の塔は、まるで蒼天を突き刺すかのように高く聳えている。
塔の頂に立つ少女、セリア=ドルタムは、遠い地平をじっと見つめていた。
その瞳に映るのは、穏やかな王都の景色ではない。
遥か彼方に滲む、黒き霧――それが、確かに近づいてきていると、彼女は感じていた。
王女として生まれ、民に寄り添い、王族の義務を学んできたセリア。
だが彼女が望んだのは、王の座ではなかった。
彼女がなりたかったのは――民を守る“盾”
旅立ちの日、セリアは父王の前で静かに言葉を紡いだ
「骨喰らいの魔王が目覚めた今、王座にとどまることが最善だとは思えません。
私は三闘士の血を引く者として、彼らの意志を継ぎ、未だ知られぬ後継者たちを探します。そして……」
言葉を一つ置き、彼女ははっきりと告げた。
「……人々を守ります。剣も、魔法も、王家の威光もすべて――民のためにあるべきです」
父王は何も言わず、目を閉じ、深く頷いた。
*
旅路は過酷だった。
セリアは王女の身分を隠し、名を名乗らず、人々の間に溶け込んだ。
そこには玉座からは見えない“地に生きる者たちの現実”があった。
彼女が通った村々には、骨を纏った魔物の爪痕が必ず残されていた。
焼け落ちた家。
祈る孤児。
冷たくなった妻を抱えたまま、動かない男。
だが、その闇の中にも、小さな希望は確かに息づいていた。
ある村では、病に伏す少女が村の隅に横たわっていた
家族もなく、誰にも気づかれずに。
セリアは迷わず少女の傍に膝をついた。
回復の魔法を何度も唱え、水を運び、額を拭い、手を握り続けた。
夜が明ける頃、ようやく少女が目を覚ます。
最初に漏れた言葉は――
「……ママじゃないのに、どうして……?」
だった。
セリアは優しく微笑み、少女の額に手を添えた。
「ママじゃなくても、人は人を助けることができるのよ。
それを“優しさ”って呼ぶの」
少女は涙を浮かべ、声にならぬ「ありがとう」を何度も繰り返した。
*
別の町では、魔物に襲われた直後の混乱に身を置いた
人々が恐怖に立ちすくむ中、広場に炎が迫る。
だが、火の粉舞う中で一人、盾を掲げる少女の姿があった。
「……フバーハ」
呟くように唱えた魔法が、炎を遮る透明の障壁を生み出す。
その陰で、がれきの奥に幼い子どもが震えていた。
セリアは迷わず駆けた。
炎を盾で払い、瓦礫を越え、子どもを腕に抱き上げる
その背に、衛兵の叫びが届いた。
「姫様っ! お逃げください! こんなところにいては――!」
振り返ることなく、セリアは叫ぶ。
「“盾”が逃げて、誰が人を守るの!?」
広場の喧騒を貫くその声に、衛兵の足が止まる。
「私を守る余裕があるなら、一人でも多くの命を背負って逃げなさい!
時間は、私が稼ぐ!
私は“盾”、民を守るためにここにいる!!」
衛兵は目を見開き、唇を噛んで頷くと、背を向けて走り出した。
セリアは腕の中の子どもにそっと囁く。
「もう大丈夫よ……私がついてるわ」
その瞳に、怯えも迷いもなかった。
彼女は王女である前に、ひとりの“盾”である覚悟を選んでいた。
*
旅を続ける中で、セリアはある噂を耳にした。
「……山を越えた先に、小さな寒村がある。
そこには、古びた斧が祀られている祭壇があるらしい」
セリアは静かに呟いた。
「……これは、導き……?」
胸の奥に、確かな予感が灯る。
旅が“次の段階”へ入ったことを、彼女は直感していた。
盾を背に、セリアは歩を止めない。
その先に、“閃光の後継者”がいるとは知らぬままに
*
遠く離れた漆黒の聖域。
骨の玉座に座す魔王が、紅の瞳で静かに笑った。
「ようやく始まるか。三闘士の血よ……まだ抗うつもりらしいな」
骨喰らいの魔王。
世界に禍をもたらす者。
彼の者の背後で、眷属たちが無言で膝をつく。
その中から一人、白金の仮面をつけた男が進み出た。
漆黒の法衣を纏う知の参謀――ハーゼル。
「王よ、セリア=ドルタムの動きは把握しております 彼女を通じ、後継者の一人は確実に炙り出せましょう」
「よかろう。ならば見せてみよ――
希望が砕かれる、その瞬間をな」
骨喰らいの魔王の瞳が、遥か彼方の地を見据える。
そこに、“光の戦士”と呼ばれる少年がいると知りながら――
そして今、セリアの旅路は、リクの住む村へと辿り着こうとしていた。
後継者たちの運命が交わる時、世界は静かに動き始める。
――第二章へ、つづく。