好奇心に殺された猫を知らない。死に至らしめるほどの好奇心を猫は持つのか? 好奇心により死へと導かれた事例は、むしろ人間に多く見られるのではないかと思う。高山や密林、砂漠に闇社会、果敢に挑戦するも命果てた人は少なくない。個々の事象に良し悪しを付けられる権利も資格も私にはない。ただこの傾向を、「人間らしい」と感じることがある。
人の脳は様々な分け方ができるが、その中に、生命活動維持に関わる脳幹、情動に関わる大脳辺縁系、理性や創造力、道徳に関わる大脳新皮質、という三つに分ける方法がある。この場合、それぞれ蛇の脳、猫の脳、人の脳と呼ぶことが多い。好奇心が情動であるならば、猫の脳より生じよう。しかし、当の猫は好奇心に殺されないとすれば、人が好奇心で殺されるのは、人の脳が生み出す理性や創造力、道徳の仕業か。生存そのものを司る本能が好奇心に歯止めをかけるなら、人の脳の産物が本能を上回り、好奇心に拍車をかけるのだろう。
そして科学者でもある冒険家の私も、壊れるくらい好奇心に拍車をかけられた。酒場で話題となっていた例の新しい海域に行かずにはいられなかった。しびれくらげが大量発生し、やつらの電撃で船が狂わされると聞いてはいたが、それでも魔の海域を航行したかった。今でこそ後悔している。しかし、そこに行かなければならない気がしたのだ。見目麗しい景色、未知の生態系、古代の財宝の噂、これらの存在は私を危険地帯へ突き動かすには十二分な理由であった。
私はどうぐ使いとしての腕にも自信があった。過酷ながらも喜楽溢れた航海をする上で必要な整備技術と資金を蓄積するために、工学の知識を存分に発揮して、あらゆる仕事をこなした。その中で、まだ脳内に不足していた情報も貪欲に補った。地形も天候も海流も、夢に出てくるくらい頭に叩き込んだ。航海技術も、体の隅々に染み込ませた。死角はない。私こそがあの海域を制するのだ。その強い思いに比例し、船出の準備が着々と進んだ。この船旅は、天によって定められたのだ、と確信していた。
私の相棒である、キラーマシンのロビンにも、航海の計画を事細かに話した。自信を込めて、計画に対する評価を尋ねてみた。

「オ言葉デスガ、危険スギマス。直チニ航海ヲ断念シテクダサイ」
ロビンは、運命の歯車に油ではなく水を差した。殺し屋の名を冠した機械の分際で、人の身を案じるのが、当時は滑稽だった。
3年前、メルサンディ村に滞在していた時、村近くの畑でロビンと出会った。人だろうと魔物だろうと作物だろうと、とにかく切りつけることに勤しみ、村人から迷惑がられ、恐れられていた。討伐も検討されていたみたいだが、せっかく私がどうぐ使いなので、スカウトした。そして作物の刈り方を教えたところ、呑み込みが早く、あっという間に終わらせてしまった。殺傷以外で己の力を活用できることを知ってからは、私の仕事を色々と手伝うようになり、やがて立派な助手となった。
えらく従順になったはずのロビンが、珍しく反抗した。身を滅ぼすほどの好奇心に待ったをかけられるとは。生命活動維持機能すら凌駕する心を備えた人間よりも、余程生き物らしいとさえ思える。皮肉なものだ。
だが私はロビンの制止を気にも留めず、航海の支度を遂行し、ついに出航の日になった。ロビンに留守番をさせ、工房を後にしようとすると、ロビンが私に近づき声をかけた。
「私モ、ゴ一緒シマス。貴方ニハ助手ガ必要デス。」
危険だと分かっているなら、お前は付いてくるべきでない。そう説得すると、ロビンは続けて語った。
「例ノ海域ニツイテ話ス貴方ノ目ハ、眩シク輝イテイタ。航海ノタメニ、貴方ハ多大ナ労力ト財産ヲ費ヤシタ。ソレ程マデノ魅力ガ、ソノ海域ニハ有ルノカ。私ハ知リタイ。私ニ多クヲ教エテクレタ貴方ガ、ソコデ何ヲ知ロウトシテイルノカ。ソコハ私ニ何ヲモタラスノカ。」
シンギュラリティに、今ここで到達したのかと思った。ロビンに強い好奇心が芽生えていたように察した。ついに私は、ロビンと共に船出した。
旅の様子を長々書く気はない。縄張りに侵入されたしびれくらげの群れから怒りを買い、総攻撃を受けて難破した。それだけだ。船は浸水し、舵が利かぬまま何日も漂流した。幸い海域を脱出でき、某国海兵に船を牽引してもらいつつ救助された。着岸してようやく船内を確認したところ、ロビンは目も当てられない有様であった。

私は右腕を麻痺し、治る見込みはない。すまないロビン。お前を直してやれそうにない。私はあの海域を制覇できると過信していた。お前の忠告を聞いていれば……
しかしロビンこそ、自身の忠告に従わなかったではないか。ロビンよ、なぜお前まで出航したのだ。お前はあの海域に、何を夢見たのだ。お前があそこから持ち帰ったものは、潮と錆の匂いだけなのか。好奇心は、お前を壊したのか。