なにかあったわけではないですが、たまにはドラクエ10に関係ない随想をつれづれなるままに書こうと思います。
私は考えるのも好きです。役に立たなくてもいろいろ考えます。
性というものについても私はいろいろ考えます。
過去に生物学的な性を考える立場にもいました。
今は「女装男子。」の主催という点で、性というものに関わっているとも言えるかもしれません。
皆さんは、性というものをどう考えるでしょうか。絶対間違った考えも、絶対正しい考えもありません。どう考えるでしょうか。
一番単純でわかりやすいのは、性にはオスとメスの2つの性別があるという考えです。
これは我々人には、すごくわかりやすい。
しかし、単純でわかりやすいということは、細かいことを無視することとも言えます。
人以外の生物にも、オスとメスがあります。しかし、それだけじゃないのも本当です。
生物によっては、オスとメスの組み合わせのように簡単に考えても、3以上性別がある種もふつうにいます。タイプA、B、C、…というように。
生物によっては、進化の中で性別を失って、無性的に増えて生きている種もいます。分裂を繰り返しているようなものです。
では人は本当はどうなのでしょうか。
私は、人には男女の2つだけがあるという考えを間違っているとは思いません。はっきりいってわかりやすいし便利です。わかりやすいし便利、これは十分価値があります。これからも基本的にはこの分け方が使われるでしょう。
しかし、そこには、細かいことを無視しているという問題があるのを忘れてはいけないし、理解しておかないといけないと思っています。
細かいことを無視したとき、その無視によって苦しむことになる人がいて、それにより全体の幸せも低下します。しかしそれでも便宜的に細かいことを無視するならば、細かいことを無視しているということを皆が理解しておき、苦しむ人の苦しみを理解し、なるべく全体の幸せの低下を減らす方が、皆がさらに幸せになることです。
人も、肉体的には半陰陽と呼ばれるような場合があります。精神的には性同一性障害と呼ばれるような場合もあります。
もっと細かく言えば、すごく男性らしい男性もいれば、女性っぽい男性もいるし、すごく女性らしい女性もいれば、男性っぽい女性もいます。
なにが男性らしい、あるいは女性らしいかといえば、それは肉体的にかもしれないし、精神的にかもしれないし、言語的にかもしれないし、服の好み的にかもしれないし、ほかのなにかかもしれません。
実のところ、どれくらい男性らしいか、どれくらい女性らしいか、ということを考えたら、それは千差万別でしょう。さらに、どういう点でどれくらいどっちなのかを考えたら、それはさらに千差万別です。
では、人の性とは結局どういうものなのか。
私は、性とは球状のグラデーションだとかんがえています。
グラデーションとは虹の色のような勾配のことです。虹の色は上から下に、赤から紫まで徐々に変わっていますよね。でも赤には真っ赤もあればオレンジに近い赤もありますよね。真っ赤からオレンジっぽい赤になり、オレンジから黄色っぽいオレンジになり、黄色になり、…、と変わっています。
これの球状なのが人間の性のひとつの姿だと思ってます。
話をやや簡単にします。
地球を想像します。
北極を男性、南極を女性としたとき、北から南に見て、いかにも男性らしい北極の位置の男性もいれば、ちょっと女性っぽいロシアの位置くらいの男性もおり、さらにちょっと女性っぽい中国くらいの男性もいるわけです。
どういう点で女性っぽいのかと考えたとき、同じくらい女性っぽくても、肉体的だったら中国の位置に、言語的にだったら韓国の位置に、服の好み的にだったら日本の位置に、というように東西に位置を変えます。
さらに、肉体的にどれくらいで言語的にどれくらいで服の好み的にどれくらいでと考えたら、日本からさらに地球の中に入ったところ、地球の内部になるかもしれません。
地球の中心から地球の全表面にかけて、程度は徐々に変化し、位置は無数です。
性もそのようなものではないか。つまり、性は球状に徐々に変化するグラデーションで、無数ではないか。
そう考えて理解できたとき、性の社会的な問題も、解決にもう少し向かうのではないでしょうか。
そんなことをいろいろ考えている、変な私ですw