『迷宮の残り火と漆黒の牙』
「グォオオオオオオンッ!!」
閉ざされた『魔法の迷宮』の最奥――古代の石造りの壁面を激しく揺らし、鼓膜を破らんばかりの咆哮が響き渡った。逃げ場のない密室の空気が、竜の吐息によって凄惨な熱気と焦臭さへと変わっていく。
目の前に立ち塞がるのは、数々の冒険者を呑み込んできた伝説の巨躯――ドラゴン。
その巨体が踏み出すたび、足元の石畳が砕け散って弾け、立ち上る熱風が皮膚をじりじりと焼いた。
(凄い……こんなの、勝てるわけないよ……!)
新米僧侶の私は、恐怖で膝がガクガクと震え、一歩も動けない。握りしめたスティックを持つ手は冷や汗で滑りそうだった。
「ひるむな! 我らの背後には仲間がいる……ッ!」
鋭い叫びとともに前線へ躍り出たのは、パラディンのカナーだ。一切の揺らぎもない足取りで大盾を構える。ドラゴンが放った容赦のない爪撃が、重苦しい金属音を爆発させて盾を叩いた。
「ぐガハッ……おおおおおッ!」
カナーの足の裏が石畳を削り、激しい火花が散る。衝撃で甲冑の隙間から肉が軋む嫌な音が響き、彼の口から鮮血が噴き出した。内臓を押し潰すほどの圧力が彼を襲う。それでもカナーは血反吐を吐きながら足を踏みとどまらせ、ラインを絶対死守する。彼が自らの肉体を削って肉の壁となっているおかげで、竜の殺意がこちらへ直接届かずに済んでいた。
「ハァッ! たぁぁっ! ……くそっ、弾かれる……!?」
カナーの大盾の隙間を縫い、果敢に飛び出したのは武闘家のぐみだ。身軽なフットワークで急所を狙い、必死の拳や蹴りを叩き込む。しかし、硬質な竜の鱗は拳を跳ね返し、ぐみの拳からは皮が裂けて血が滲んでいた。与えているダメージは微々たるものだ。
それでもぐみは「俺が隙を作る!」と血吐く思いで叫び、足元にしがみつくようにタゲを引きつけ続ける。
しかし、竜がくわっと開口し、胸腔を膨らませた。 「しまっ――『しゃくねつ』が来るぞッ! 伏せろ!」
カナーの叫びも虚しく、迷宮全体が真っ赤な地獄へと変貌する。
回避不能な熱波がパーティを襲い、前線のぐみが悲鳴をあげる暇もなく吹き飛んだ。石畳に激突し、全身を酷い火傷と骨折で打ちつけられて動かなくなる。カナーも大盾ごと焼き尽くされ、鎧が灼熱化して皮膚に張り付きながら、がくりと膝をついた。
(あ、どうしよう……! 誰から治せばいいの!? 回復魔法の呪文、なんだっけ……! このままじゃ、みんな死んじゃう……!)
頭の中が真っ白になり、酸素すら吸えなくなったその時。
パン、と軽やかな音が響き、灼熱の熱風を切り裂くように涼やかな風が吹き抜けた。
「落ち着きなさい。視界を狭めるな」
静かで、どこまでも澄んだ声。ベテラン僧侶のギルさんだ。
彼が掲げた杖から澄んだ『ベホマラー』の光が放たれる。柔らかい癒しの波が戦場を包み、死の淵にいたぐみとカナーの体力を極限状態から繋ぎ止めた。
ギルさんは一切の無駄がない動きで距離を保ち、竜の尾の動きから次の攻撃を完璧に予測して指示を出す。
「カナーの『重さ』は拮抗している。ぐみも命懸けでタゲを引っ張っているぞ。お前が見るべきは、倒れる恐怖じゃない。あいつらの背中だ」
ギルさんは力強く私に告げた。
「お前の祈りも、必ずみんなの盾になる。……さあ、命を張って守ってくれているカナーへ『ホイミ』を。呼吸を合わせて」
「……は、はいっ!」
私は震える両手で聖印を結び、必死にカナーへ回復の祈りを捧げた。
しかし、ドラゴンもタダでは倒れない。狂乱した竜は残された力を振り絞り、尾を激しく薙ぎ払った。
ドカァンッ!
「がはっ……!?」
庇いに入ったギルさんが直撃を受け、壁へと叩きつけられて崩れ落ちる。パーティの要であるベテランが沈んだ。絶望が再び空間を支配する。
「まだだ……! まだ終わらせねえぇぇッ!」
ボロボロになったぐみが、折れた腕を庇いながら立ち上がった。全身血まみれになりながらも、最後のMPを絞り出して竜の視界を塞ぐように跳躍する。
「カナー! 合わせろッ!」
「おおおおおアアアアッ!!」
カナーが限界を超えた力で大盾を突き出し、竜のアゴを押し上げた。一瞬の隙――ぐみの必死の牽制によって生まれたわずかな命のタスキを、カナーが拾い上げる。
「喰らい……やがれぇぇッ!」
カナーの全身全霊を込めたシールドバッシュが竜の喉元に炸裂。同時に、私は涙を拭い、全魔力を込めてカナーの背中に『ベホイミ』を叩きつけた。

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