第1話:歪む極夜と泥の猛者たち
狂乱の『まおうのつかい』との死闘から数日。激闘で裂けた肉の傷跡はいまだ赤く膿み、凍てつく風が吹くたびに熱い激痛が走る。
ランガーオ雪原を切り裂く極寒の暴風の中、駆け出しの僧侶「りょうすけ」は、血と汗と泥が染み込んだ防寒具の紐を掠れた指先で必死に締め直していた。
(また、生き残ってしまった……)
前世の社畜時代に叩き込まれた「自分さえ我慢すればいい」という冷めた諦め癖。そしてこの世界へ転生した直後、目の前でパーティーの『ダイコン』の首が、魔物の顎によって呆気なく跳び跳ねたあの日の激痛と絶望。それらのトラウマは未だ彼の中に重くどろどろと立ち込めていた。だが、今の彼を支えているのは恐怖だけではない。胸の奥でドクドクと脈打つ「誰かの命を繋ぎ止めるための聖なる魔力」――そして、あの死闘をともに生き抜いた一人の男の存在だった。
「おいおい、何おどおどしてんだよ、僧侶の兄ちゃん! また足引っ張ったら、今度こそ雪の中に叩き込んで埋めてやっからな!」
ガハハと豪快に笑い、装填された鋼鉄の爪を「ガチリ」と打ち鳴らしたのは武闘家の「グミ」だ。先の魔王の使い戦で、死の恐怖に身を竦ませていたりょうすけの背中を叩き、身を挺して庇い続けてくれた泥臭い兄貴分である。死線をともに潜り抜けた彼との間には、言葉にせずとも通じ合う確かな信頼の絆が芽生えていた。
「グミさん……笑い事じゃないですよ。あんなバケモノと戦った後なんですから……」
りょうすけが掠れた苦笑いを返すと、グミは太い腕でドスンとりょうすけの肩を抱いた。その腕の温もりが、凍えそうな心を僅かに温める。
今回の彼らの任務は、先の激闘の舞台となった魔導遺跡周辺における「空間歪みの残留調査」だ。覚醒した魔物が放った暗黒の魔力が、この極寒の地にいかなる悪魔的な変異をもたらしたのかを確認するため、彼らは練度の高い小隊を組んでいた。
先頭を行くのは、深遠な威厳を纏う大魔法使いの老人「レオンライト」。厳格な眼光で吹雪の向こうを見据え、一歩一歩踏みしめるように進む。
そして、彼らの傍らには恐ろしいほどの猛者たちが集っていた。
大きなマントを深く被り、顔の輪郭すら見せないドワーフの男「マンティス」。同じ時期にチームに加わった旅芸人だが、言葉数は極めて少なく、ただ静かに周囲の死角へ鋭い視線の糸を張っている。
透き通るような白肌と凛とした美貌を持ちながら、「寒くない? 魔力、練り直しておくんだよ」と面倒見よく声をかけてくれる隠者の女性「クロエ」。
そして、モフモフとした愛くるしいフォルムと大きな栗色の瞳を持ちながら、腰の二本の短剣を凶悪な手つきで弄ぶ超絶バトルマスターのプクリポ「プクル」。 「大丈夫だって! 嫌な魔物が出てきたら、僕が刻んで生肉にしてあげるからさ!」
無邪気な声と発言のギャップに、りょうすけの背筋に冷たい汗が流れる。
その時、遺跡の入口である巨大な洞穴の暗闇から、血と硫黄が混ざり合った吐き気を催す腐臭が漂ってきた。
「……みな、気を引き締めよ」
レオンライトが重厚な大杖で氷床を突いた。鈍い音が響き渡る。
「神意の歪みは、生態系の頂点すら狂わせる。覚悟しろ」
その言葉が終わるか終わらないかの瞬間だった。
洞窟の奥の闇が、ドロリと蠢いた。巨体が動くたびに地鳴りが響き、氷の床に何条もの亀裂が走る。
現れたのは、人型の魔物など遥かに凌駕する存在――全身を濡れた漆黒の鱗で覆い、顎から高温の黒煙を撒き散らす巨獣『黒鱗のドラゴン』。
「ルアアアアアアアアオオオオオッ!!」
鼓膜を突き破る死の咆哮が、氷の洞窟に響き渡った。