コインボスとは、一般的な意味で言うなら、
レベルの高いパーティがアクセサリの入手を目的として挑む敵である。
その際には高価なコインやカードを投入する必要があり、
実装当初はなかなか挑みづらい敵だった。
その挑み辛さ故にいわゆる
「鉄板構成」「必須耐性」を遵守せざるを得ない空気があった。
(身内はさておいて野良ならばこのようなものだろう。今でも恐らくは…)
しかしここ最近になってその事情が変わってきた。
三悪魔はまだ希少だが、
王家の迷宮、スペシャル福引、プレゼントの呪文、雑誌の付録など…
様々な手段で入手が可能となってきている。
当時からすれば信じられないことだが、
余っている、との声すら上がってきている。
とは言え余っている、と言うのは
アクセサリ合成が理論値に達したからであるという理由だけではない。
単純に消化し切れないのだ。
現に私もうつしよの箱を大量に放置してしまっている。
カードの残り時間には余り追われたくないからだ。
それですらまだ消化し切れていない。
がんばれよ、と言われてもこれがなかなかにキツイ。
仮に消化し切ったとしても、
リーネに営業スマイルされつつ粉砕されに行くのは精神的にも厳しいのだ。
あれ絶対メコッとか、バキッとか合成時に音鳴らしてるんだぜ…。
(※本人の勝手な妄想です)
理論値プレイヤーからすれば甘えだとは思うのだが、
別に理論値に拘ってる訳でもない私は、
わざわざカードを消化しきる意義を見出せない。
拘ってない?
そうだろうか。
先程リーネの犠牲にするのは嫌だと言ったはずだ。
苦労して手に入れたアクセサリだ。
無駄にはされたくないはずだろう。
なんだかんだ言って理論値が欲しいのではないか。
完全には否定はしない…そりゃ良い結果のが良いに決まってる。
しかしそれ以上に、単純に疲れていたのだ。
消化し切った解放感を得た状態で、
鬼のような仕打ちをされればそりゃ疲れるだろう。
せめて一点ぐらい成果が出てくれれば…
甘い。
確率は所詮確率でしかないのだ。
そこに希望だの、これまでの苦労の加味だの、人情だの、そんなもんはない。
そんなもんはゲーム開始時に犬に食われた。
だから私はよく犬に吠えられる。
理不尽だ。
何故こんな作業をしているのか。
「すててしまえばいいのに、勿体無いから出来ない」
過去の価値観に囚われて、未だレアアイテム扱いをしてしまっている。
違うのではないか。
余っていると言うなら、
もっと雑に扱ってやれば良いのではないか。
捨ててしまえば良いのなら、
捨てるつもりの使い方があるのではないか?
過去の私はこう言っていたはずだ。
「もっと気軽に行ければいろんな構成が試せるのに」
「耐性なんて気にしなくてよくなるのに」
確かに言っていた。
戦いそのものを楽しむのがRPGの原点ではなかったか?
報酬に気を取られ、パーティ戦を作業にしてしまってはないか?
楽しむことを忘れて、私は何をやっているのだ。
ならば、やりたいようにやらせてやる。
やりたい職業で戦わせてやる。
そういうイベントにしてやる。
そして不要カードボス殴り込み大会が始まった。
やりたい職業だけをしてもらうため事前申請で固定させることにした。
盛り上がるように任意でルールも付与した。
やりたいようにやってもらうことにしたのだ。
結果、またしてもドM認定が強まった。
世の中はやはり理不尽だったのだ。
ひどい話だ。そう思いませんか?
や、まあ参加した連中全員そっち側だと思うんだけどね。
第4回には新規さんもまた新たに入ると良いんだけど、
流石にフリーダムなイベントだからまだ日誌読者限定かなー。
ま、何が言いたいかというと、
もっとカード雑に扱うと良いんじゃね?
ってことです、ハイ。
もちろん野良でやると地雷になるので内輪で仲良くね!
しかしこのイベント消化が目的じゃなくて
ヒャッハーが目的なんだよねー。
結局消化する目的は達成出来ていない。
どうしてこうなった。