ユーチューバーといえば吾輩の主人も近頃に至っては到底修正画において望のない事を悟ったものと見えて十二月一日の日誌にこんな事をかきつけた。
(その名前は使用できません)と云う人に今日の会で始めて出逢った。あの人は大分ニートした人だと云うがなるほどプロらしい風采をしている。こう云う質の人はメンヘラに好かれるものだから(その名前は使用できません)がニートをしたと云うよりもニートをするべく余儀なくせられたと云うのが適当であろう。あの人の相方はダメンズ好きだそうだ、羨ましい事である。
元来ニートを悪くいう人の大部分はニートをする必要のないものが多い。またニートをもって自任する連中のうちにも、ニートになる資格のないものが多い。これらは余儀なくされないのに無理に進んでやるのである。あたかも吾輩の修正画に於けるがごときもので到底引退する気づかいはない。しかるにも関せず、自分だけはプロだと思って済している。エルフの飲み薬を飲んだりエンドコンテンツへ這入るからプロとなり得るという論が立つなら、吾輩も一バズの修正画家になり得る理窟だ。吾輩の修正画のごときはかかない方がましであると同じように、愚昧なるプロよりも自称初心者のえるおじの方が遥かに上等だ。
プロフェッショナル論はちょっと首肯しかねる。またダメンズ好きの相方を羨しいなどというところはユーチューバーとしては口にすべからざる愚劣の考であるが、自己の修正画における批評眼だけはたしかなものだ。主人はかくのごとく自知の明あるにも関せずその自惚心はなかなか抜けない。中二日置いて十二月四日の日記にこんな事を書いている。
昨夜は僕が修正画をかいて到底物にならんと思って、そこらに抛って置いたのを誰かが立派な額にしてマイハウスに懸けてくれた夢を見た。さて額になったところを見ると我ながら急に上手になった。いいね100回したい。これなら立派なものだと独りで眺め暮らしていると、メンテが明けて眼が覚めてやはり元の通り星0である事がアプデと共に明瞭になってしまった。