(以下ストーリーのネタバレはありません。)
坂本美雨さんいわく、故・延江浩さんを「誰か新しい人と繋げてくれるおじさん」と。
川上未映子さんは延江さんから、TOKYO FMの審議委員を勤めるよう依頼されたそうで、
月に一回程度会う延江さんには独特の穏やかさと雰囲気があり、お洒落で何をしゃべっても繊細な物言いで、
作家の村上春樹さんとの共著の出版の裏にも延江さんが絡んでいたようで、川上さんにとって人間関係の構築者である延江さんの死はショックが大きかったそうです。
延江さんの死後は川上さんの夢にたまに現れて夢の中で〝のぶりん〟とおしゃべりをしたそうです。
「ラジオ局(マスコミ)の社員なのに小説家をやってもいいの?」という長塚圭史さんや佐橋佳幸さんの疑問に対し、
TOKYO FM総務部長の杉本昌志さんが「ラジオ局はしっかりしたコンテンツを作って出せるかが全てなので、そこができているゆえに延江さんの小説家という仕事への許容度は高かった」と説明していました。
かつて杉本さんがTOKYO FMへの入社面接を受けた際、面接員の一人が延江さんだったそうで、
いかつい表情でなかなかとりつく島のなさそうな延江さん相手に若かりし杉本さんが熱弁したのは、ファミコンについてだったそうです。
これは落ちるな、とあきらめていたところで思いがけない合格通知が届いたそうで、延江さんのゲームやいわゆるサブカルに対する許容度の高さがうかがい知れたそうです。
長塚さんは「(延江さんの)霊をおろすのは無理(笑)」と降霊術の話題も出していました。
降霊術というとドラクエ10のお宝の写真のチササが思い出されました。
杉本さんやキャンベルさんによると、延江さんは作品にあえてキズを残してザラっとさせる手法を用いていたそうで、
閉幕(フェードアウト)もきれいにしようとは望まなかったみたいです。
「キャンベルさんすげえ!佐橋さんすげえ!」と色々な人に延江さんが上手に仕事をふって任せ、しかし後先考えずに人集めだけしてしまうこともあったみたいで、集められた人たちで笑いながら尻拭いもしていたそうです。
延江さんと佐橋さんのラジオ番組が生放送ではなく録音しての編集放送になったのは、延江さんが放送禁止用語を連発してしまうからだそうで、「ロンドンとパリが……」のような箇所は編集せざるを得なかったみたいです。
かつてラジオの生放送で放送禁止用語を交えながらFM東京(現TOKYO FM)を痛烈に批判した忌野清志郎さんを意識していたかは不明です。
舞台の最後は佐橋さんが「延江さんに丸投げされて作ったラジオの曲で、タイトルはないです」と前置きしながらギターでのソロ演奏。一応の閉幕となりました。
〝延江さんをめぐる人間関係構築の物語〟はとても面白く楽しかったですが、今度はその逆の〝人間関係をあまり構築しない孤独志向の人の物語〟も舞台で演じる機会はないのだろうかという期待もしました。
リア充だけでなくソロプレイヤーの生き様も舞台化する意義はあると、今回の舞台を見てこっそり思いました。
おわり