先日、ネットで公開されていたドラクエの元プロデューサーが出演するリハックの動画が、いつの間にか見れなくなっていた。
私がその動画を見て感じたのは、制作者側と私のような長年のファンが共有する「危機感」だった。
そして、その元プロデューサーが語っていたことの全てに、私は首がもげるほど頷いていた。
だから今日は、一人のドラクエを愛してきた人間として、本気で書こうと思う。
今のドラゴンクエストは、本当にマズい。そのブランドは、我々が子供の頃に感じていた輝きを、明らかに失いつつある。
かつて僕らの「神ゲーム」だった
私は38歳。スーパーファミコンと共に少年時代を過ごした、ど真ん中のゲーム世代なんだ。あの頃、ドラゴンクエストは間違いなく「神ゲーム」だった。
数年おきに必ず新作が発売され、そのたびに日本中が熱狂した。
坂口博信氏と堀井雄二氏がタッグを組んだ『クロノ・トリガー』など、今なお色褪せない伝説的な作品も生まれた。(魔王が仲間になるの!?ヤベーがあった)
だが、時代は変わった。
海外からはAAAタイトルが押し寄せ、ネットに繋がるのが当たり前になり、娯楽はテレビからスマホ動画へと移った。
コンテンツは凄まじい速度で消費され、記憶から消えていく。
昔のように、一本のゲームをスルメのように何度も味わい尽くす文化は、もうない。娯楽が増えすぎた、今はAIで自家発電もできるし。

致命的すぎる「世代交代の失敗」
今のドラクエの惨状を見て、まず思うのはこれだ。
ポケモンと比較すれば、その差は歴然としている。
子供の頃にいかにそのシリーズに触れたか。
それが大人になってからのIPへの忠誠心を大きく左右する。
ポケモンは、毎週放送されるアニメでサトシとピカチュウに会うことができた。
ゲームをやっていなくても、常に新しい情報が供給され続けたけど。
さらに、ナンバリング、リメイク、外伝と、ほぼ毎年何かしらの「祭り」を起こし、ファンを飽きさせない。結果的にディズニーを抜いてIP世界一になった。
対してドラクエは。
ナンバリングの新作が出るスパンは絶望的に長くなった。
その「空白」を埋めるものは何もない。
『ドラゴンクエストXII』に至っては、発表から何年も音信不通だ。SFC時代、2~3年おきに新作が出ていたあの熱狂を知る者として、この沈黙はIPとして致命的だと思う

聖域という名の呪縛、「堀井雄二の感性と時代のズレ」
これはタブーに近い話題かもしれないけど
堀井雄二氏の作り出す世界、ギャグ、そして「ぱふぱふ」のようなお約束。
我々世代にとっては「これぞドラクエ!」という最高の安心感だ
しかし、その感性は、今の若い世代に本当に響いているのだろうか。彼らの目には、ただの「寒い内輪ノリ」に見えてしまうじゃないかな
ペルソナ5の海外のヒット見てると。ペルソナは3,4,5とペルソナは現代の若者の「心の闇」「スクールカースト」みたいなリアルな悩みを扱ってる。そしてその時代時代に合わせて心の持ちようの変化をとらえて今のトレンドにチューニングしてる若い感性がある。
「変わらない安心感」と「魂を失った革新」のジレンマ
「船を手に入れると世界が広がる」「最後の鍵で閉ざされた扉を開けに行く」。我々世代が愛したこの「お約束」も、新規若いプレイヤーには「またこのパターンか」というマンネリに感じちゃう。
『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』が、シリーズの「当たり前」を全て見直すことで新たなファンを獲得したのとは対照的に。
しかし、ここで難しいのは。お隣の『ファイナルファンタジー』なんだよねぇ・・・
FFは変化を恐れず、毎回新しいゲーム作りに挑戦けど、その結果が、「これが俺たちの知ってるFFか?」と、多くの古参ファンが「魂の喪失」を感じてしまってる。
シリーズを貫く一本の筋が失われ、ファンは新作が出るたびに「今回は当たりか?ハズレか?」の博打になってる。
聖域を守りすぎたドラクエは、時代の変化に取り残された。
聖域を壊しすぎたFFは、自らの魂を見失った。
(FFは海外展開が進んでる分、まだDQよりまし)
どちらも、未来への道を閉ざしかけている。

ドラクエが生き残るために
堀井雄二氏という「神」を呪縛から解き放つべきじゃないかな
どうしたらいいのか?
堀井雄二は神の存在のまま呪縛を断ち切って、若くて優秀なライターに書かせるべきだと思う。
「現代の若者の感情を描けるクリエイターを抜擢」しかない気がする。龍が如くシリーズはすべてやってるけどその中で古田剛志さんが手がけてる作品は明らかに面白い。
龍が如く0はもう信じられないほど震えた。
「ドラクエらしさ」をのこしつつ変化をしないと、今後はますますドラゴンクエストのブランド力がそがれていくと思う