以前、偶然にも、所謂キラキラを「しらべる」事があったのだが、対象の項目に正に「キラキラ」の表記がなされていた。つまりはドラクエX界隈で便宜上呼んでいた「キラキラ」の名称が公式に認められて市民権を得たと言う事なのだろうか。だが、私はこのネーミングに聊かの違和感を禁じ得ない。敢えて擬態語に倣って名付けたとしても「ピカピカ」だろうと思われるからだ。
厳密な定義は判らないが、「キラキラ」は比較的早い明滅(例えば日光の川のみなもでの反射)を表すと思われ、それに比して「ピカピカ」はより遅いもの(例えば信号機の点滅)だと言う印象だ。従って私のキラキラピカピカ・コンセプトに照らし合わせれば例のアレは明らかに「ピカピカ」なのである。ただこれは飽くまで私の経験則によって直感的に培われたものなので間違っている可能性もあろう。
違和感は他にもある。アクセサリーで言う所の「理論値」と言う奴だ。
理論値と言うのは殆どの場合、理想的条件を仮定した時の実際の値とギャップのあるものだと思うのだが、このドラクエ界では可能な最大値の意味で使われてしまっている。「理論」の修飾語を冠するまでもなく実際にいくらでも存在する値なのだ。勿論実際の値をその「理論値」にするのが困難である事は承知しており、又、理想と現実が一致する事があってもいいのかも知れないが、それにしても私の言語野は、武闘家がテンションアップのマックス一歩手前で失敗を繰り返している、燻りにも似たものと化すのだ。
こういった事は現実生活に於いても多々ある。特に気になるのが「なので」を接続詞的に使う事だ。
本来「なので」はその前に体言、或いはそれに類するもの(形容動詞の語幹か?)を伴って、「ナントカカントカなので」とやるべきだろうに、前の文全部を受けて、「なので」と文頭から始めるのが流行ってしまっている。子供をはじめ女子高生、果てはニュースキャスターや大学教授まで、猫も杓子も「なのでなので」と囃し立てやがって!株を奪われた「だから」の立場も考えろ!流行語大賞にでも推すつもりか!ナノデ教の教祖か!てやんでえ!べらぼうめえ!
などと息巻いてみた所でこの趨勢を止められるべくもない。言葉は生きている、と言ったの誰だったか。言語はマジョリティーに席捲されてそれが正当化されてしまうのだろう。「続柄(つづきがら)」が「ぞくがら」で辞書に載るように。「確信犯」が「悪いと分かってする犯罪者」とされてしまうように。
なので、違和感に耐えながら今日もドラクエをするのだった。(あっ!)
続く