シエル・ネージュ。この喫茶店の店主だ。この夕暮れの時間帯、彼はいつも何かしらの飲み物を片手に本を読んでいる。街中の喫茶店であればこの時間はピークタイムのはずだが、ここでは違う。昼か夜かも微妙な時間に足元の微妙な湿原を通る者など中々いない。ゆえに、この店では夕暮れどきの時間帯が最も暇になる。
カップの中身が丁度半分くらいになった辺りで、扉を叩く音がした。シエルはこの音を飛ばされた石かなにかが当たったものと勘違いした。店は一応はやっているのだから、わざわざノックする必要などないと考えていたからだ。
数秒の静けさの後、また扉を叩く音がする。ここで、シエルも誰かが扉を叩いていると気付いた。本から扉へと顔を向け、扉の向こうの者に聞こえるように、少しだけ声を張って
「開いていますよ、どうぞ」
と、一言だけ述べる。すると声が聞こえたのか、扉がゆっくりと開く。
「失礼します~.....」
人間の女性が1人、明らかな外向きの声で挨拶をしながら入ってきた。赤や金が混ざった茶色の髪の上に犬耳が乗った、いかにも高そうな着物を着た女性だ。
「いらっしゃいませ どうぞ、お好きな席へ」
シエルは普段と同じように挨拶をし、席へ誘導する。女性もその誘導通り、席へ座るが、心なしか緊張しているようにも見える。シエルもその様子を少し疑問には思ったが、声に出すことは無く、丁寧に客である女性の前にメニューを置いた。しかし、メニューに目が向けられることはなかった。女性はシエルの顔を緊張した面持ちで見つめるばかりである。
「あ、あの!」
「はい、なんでしょう」
数秒の沈黙の後、女性が口を開く。シエルも特に驚きはせず、淡々と返事をする。
「ここ、人手は足りておりますか!」
「足りています」
緊張した声色で話す女性に、シエルはまた淡々と、かつ容赦なく返す。普通ならここで話が終わり、気まずい雰囲気が店内中に広がるだろうが、女性は粘る。
「...では、買い出しの荷物持ちとか!」
「ドルボードがありますので」
「ではでは!掃除.....」
「ここでホコリの1つでも見つけてから仰っていただきたいものです」
「ではではでは!!調理たん.....」
「キッチンは1人用です」
自身の就ける役割を考え、絞り出す女性に、シエルは淡々と返す。こんな問答が約6分続いた末に、とうとう女性も役割を思い付かなくなり、最後に先程の問答の時間を全て無駄にする一言を吐いた。
「...雇ってもらえませんか?」
「いいですよ」
帰ってきたのは意外な答え。完全に諦めきっていた女性の目に希望の光が灯る。声にも張りが出てきた。
「それでは、まずお名前を」
「アラメ・イサラゴと申します!」
元気良く返事をするアラメに対し、シエルはほんの少しだけ目を見開いて彼女の顔を覗き込んだ。
「貴女が、アラメ・イサラゴですか 「怪談全集」の著者の?」
「......! はい!」
アラメは目を輝かせ、先程よりさらに元気良く返事をした。本の著者としてはまだまだ駆け出しである彼女にとって、自分を知っている人がいたという事実は泣きたくなるくらいに嬉しいものなのだ。
「貴方に尋ねたいことが沢山あったのですよ」
「はい!何でも!どうぞ!」
「一体何だと言うんですか、あのふざけた本は」
「..................え?」