「……ふぅ、上がった。一気に、一三八だ」
一月二十一日の朝。俺は両手の短剣を鞘に納め、深く息を吐いた。
画面の中の踊り子が、戦いの余韻に身を委ねて静止する。
一三六から一三八へ。レベルアップのファンファーレが鳴り響く瞬間、俺の脳内には**ADHD**特有の強烈な快感が火花を散らした。経験値が溜まり、枠が一段階広がるあの「音」だけは、**識字障害**の俺の耳にも、どんな名曲より鮮明に届く。
「パパ、今の音なに? 妖精さんがお祝いにきたの?」
聖が、春から小学生になる潤んだ瞳で画面を覗き込む。
「そうだよ、聖。パパの踊りが、世界を少しだけ熱くした証拠だ」
俺は**悴んだ**指先で、聖の温かい頭を撫でた。
けれど、視線をバザーの掲示板に転じた瞬間、その熱は一気に冷え切った。
天地雷鳴士の防具一カ所、一三九九万。
銀行の六千五百万なんて、二、三カ所揃えれば**雪**のように溶けて消える。
「レベルを上げるのは、こんなにスカッとするのにさ。なんで金策は、こんなに泥臭いんだろうな」
俺は独り言をこぼしながら、重い腰を上げた。
三時間、泥にまみれて「盗み金策」に励んでも、手に入るのは「にじいろの布きれ」の束。
「ひー……、運営さんよ。ゲーム内で、直接ゴールドを売ってくれよ。時間はあるけど、整理ができない俺みたいな奴には、その方がよっぽど救いなんだ」
海が「アルファード、しゅっぱつ!」と俺の足の甲をミニカーの車輪で轢いていく。
その痛みさえ、今は虚しさを助長させる。
八千七百七十六時間。一睡もせずに一年以上。
俺がこの世界に捧げた命の時間は、どうして最新の装備一式にすら届かないのか。
「パパ、かなしいお顔してる。魔物さんに、意地悪されたの?」
「いや……。意地悪なのは、この世界の物価だよ、聖」
台所から漂う、**蕪**を煮る土の香りとミルクの匂い。
十二月二十五日に届いた四番目の奇跡、陽の泣き声が遠くで響く。
現実は、二十四もの職業を使いこなせと急かし、最新の装備を五つも七つも揃えろと突き放す。
文字が読めず、アイテム枠の整理でパニックを起こす俺にとって、この世界は時々、**大寒**の吹雪よりも冷たくて、広すぎる。
「ゲームの中でくらいさ、努力の分だけ、そのまま報われたいよな」
俺は、一三八になったばかりの踊り子の背中を見つめた。
完璧な装備なんて、一生買えないかもしれない。
けれど、このステップを刻むために費やした、文字にならない感情。
それを否定することだけは、したくなかった。
一月二十一日の朝。
一三九九万の壁の向こう側へ。
俺はまた、不器用な短剣を握りしめ、八千七百七十七時間目の荒野へと踊り出した。
せめて、このステップが、家族を照らす星の光のように、温かくあることを願って。