夕闇が迫る書斎、ディスプレイの青白い光が、内海集司の少しばかり充血した瞳を照らし出していた。
彼は今、ある冒険者の書いた「装備論」を読んでいた。
「死んだら起こしてもらえばいい。大事なのは仲間との協力だ」
その言葉は、優しく、正しい。効率を追い求め、数字の羅列に疲弊する現代のオンラインゲームにおいて、一つの救いのような哲学だ。
「……でも、それだけじゃ、足りないんだよな」
集司は独りごちて、作業椅子に深く背をもたれさせた。
彼の手元には、職人用のハンマーではなく、一本の「防具鍛冶ハンマー」のアイコンが輝いている。彼は物語を紡ぐ小説家であると同時に、アストルティアの空の下では、火花を散らして鉄を叩く防具鍛冶職人でもあった。
「パパ、またお顔が『うーん』ってなってる。今度はなあに?」
聖が、冷えたココアを二つのマグカップに入れて運んできた。
「聖。……パパね、今、ちょっと迷ってるんだ。ある人は『古い装備でも、仲間がいれば大丈夫だ』って言ってる。それはすごく素敵なことなんだけど、パパは……やっぱり、最新の、一番強い鎧をこの手で打ちたいと思ってしまうんだよ。これって、欲張りかな?」
聖は集司の隣に座り、キーボードの横に置かれた「おしゃぶり」を、空に代わって丁寧に並べ直した。
「あのね、パパ。海くん、新しい靴を買ってもらった時、ずっと玄関でピカピカさせてたでしょ? 『これでどこまでも走れる!』って。あれと同じじゃない?」
「……ああ、そうだな」
集司は、鍛冶場の熱気を思い出す。
ふいごを吹くたびに舞い上がる火の粉の爆ぜる音。真っ赤に焼けた鉄が叩かれるたびに、キィィィンと耳の奥まで響く高い金属音。
その瞬間、職人の指先に伝わるのは「数値」ではない。「魂」の重みだ。
「最新の装備っていうのは、ただの数字じゃないんだよ、聖。それは、今の僕たちが到達できる一番遠い場所へ行くための『翼』なんだ。防具を打つとき、僕は祈るんだ。これを着た誰かが、今まで勝てなかった敵に勝てますように。今まで見たことのない景色を見に行けますように、って」
そこへ、寝室から海が寝ぼけ眼で飛び出してきた。
「ぱぱ! ぜんそくりょく! ぴかぴかの、よろい!」
「はは、そうだな海。ピカピカの鎧だ」
集司は海を膝に乗せた。子供の体温は驚くほど高く、心地よい。
背後で、真白がウインナーコーヒーのクリームをゆっくりと混ぜながら、静かに口を開いた。
「気楽に楽しむのも、最高の一品を求めて火花を散らすのも、どちらも正しい『遊び』ですよ、集司さん。でもね、職人としてのあなたは、妥協した装備で満足できるタマじゃない。ディスレクシアで文字が読みにくくたって、鍛冶のゲージの『音』と『火花』で、あなたは最高傑作を叩き出せる。それは、あなただけの特別な感覚(ギフト)なんです」
「……そうか。僕が最新装備を求めるのは、見栄じゃない。物語の続きが見たいからなんだな」
集司は、再びディスプレイに向き合った。
画面の中では、熱い炉が火を噴いている。
指先に伝わるマウスのクリック感。けれど彼の脳裏には、重い鉄を打ち据える確かな手応えが蘇っていた。
「最新の装備、着てみたいよ。だって、その先にある景色を、この子たちに見せてあげたいから」
集司は、力強くハンマーを振り下ろした。
カァァァン!
仮想世界に響くその音は、彼のリュックの中にある「こだわり」という名の重石が、輝く宝石に変わる瞬間の音だった。
「よし、打つぞ。世界で一番、強くて優しい鎧を」
聖が笑い、海がはしゃぎ、陽が静かに目を覚ます。
内海家の夜は、鍛冶場の火のように、赤く、熱く、燃え始めていた。