『不器用な職人と、鉄に宿る約束』
書斎の空気に、ふわりと甘い魔法の香りが混じったような気がした。
ディスプレイの中で、集司の操作するキャラクターが、新しく手に入れた『マジカルキャット家具』に囲まれて佇んでいる。夜空を切り取ったような紫の壁、金色の三日月を抱いた猫の窓枠。それらは、ただのデジタルデータのはずなのに、今の集司には不思議と温かく、命を宿しているように見えた。
「パパ、これなあに? お外に猫ちゃんがいっぱい!」
聖(ひじり)が身を乗り出して画面を覗き込んだ。 彼女の瞳には、庭に置かれた猫の置物や、怪しくも愛らしい調度品が、まるで本物の魔法の世界のように映っている。
「『マジカルキャット』だよ。パパ、頑張って職人でゴールドを貯めて、このセットを買ったんだ。どうかな?」
「すごい、かわいい! この窓、お空が夜になってる。パパの書斎も、こんな風にできたらいいのにね」
集司は聖の頭を撫でながら、ふっと笑みをこぼした。
識字障害(ディスレクシア)を抱える彼にとって、ゲーム内の複雑なシステムメッセージやチャットの海は、時として鋭い棘のように彼を刺す。 「効率」や「最強」という言葉が飛び交う世界では、自分の歩みの遅さに足がすくむこともある。
けれど、こうして「好き」を形にする時間は、彼にとって何物にも代えがたい救いだった。
「……パパはね、最新の強い鎧を作るのも好きだけど、こうやって『可愛い』とか『楽しい』を並べる時間も、同じくらい大切なんだ。最新の装備を着るのが、遠くへ行くための翼なら、ハウジングは……心を休めるための、一番温かい巣なんだよ」
「にゃんにゃん! ぱぱ、ねこー!」
海(かい)がミニカーを放り出して駆け寄ってきた。 画面の中で尻尾を振る猫の庭具を指差し、全力で跳ねる。 その振動が、集司の膝を通じて、確かな「生」の重みとして伝わってくる。
「ああ、海。ほら、ここにも猫がいるぞ」
集司はキーボードを叩き、猫の置物の向きを微調整した。
マウスを握る指先に、微かな熱が宿る。
ADHDの特性がもたらす過集中は、こうした細かな配置の作業において、驚くべき色彩感覚とこだわりを発揮させた。 文字を読むのは苦手でも、色の調和や、空間が醸し出す「物語」を読み取る力は、誰よりも鋭敏だった。
そこへ、真白(ましろ)がウインナーコーヒーの湯気を漂わせながら背後に立った。
「……ふうん。冷徹なAI小説家が、随分とファンタジックな趣味に走りましたね」
「真白さん。……これは、その、資料ですよ。『にぢしょう』に魔法の要素を取り入れるための……」
「言い訳はいいですよ。でも、いい家ですね。あなたのリュックに詰まっているのは、苦労だけじゃない。こういう『ときめき』も、ちゃんと詰め込まれている」
真白は陽(ひなた)を優しく抱き直しながら、画面の中の幻想的な庭を見つめた。 陽はミルクの香りをさせながら、小さな手で空を掴もうとしている。
集司は、画面の中の猫たちと、自分の周りに集まった愛おしいノイズを見渡した。
最新の装備を打ち、物語を綴り、そして魔法の猫たちと庭を作る。
不器用で、重い荷物を背負った自分にしかできない、最高に贅沢な「大陸横断」の形が、ここにはあった。
「よし、次は聖と海の部屋も作ろうか」
「パパ、大好き!」
子供たちの笑い声が、一月の乾いた風を追い払うように、温かく部屋を満たしていった。