東京三十七度、ヒェッヒェッの乾杯
東京三十七度。朝から熱中症アラートが鳴り、窓を開けても熱風しか入ってこない。みるくは白いTシャツを脱ぎながら「これはもう修行じゃないか」とつぶやき、洗面所へ向かった。シャワーを浴びると額から流れていた汗がようやく落ち、鏡の前で濡れた前髪を指で整える。脱衣所には朝に履いた靴下が洗濯かごから少しはみ出し、台所では飲み終えた麦茶のコップがそのまま流しに置かれていた。冷凍庫には三分だけ冷やすと決めて入れた缶ビールがあり、みるくはスマホではなく壁掛け時計を何度も見上げながら、「あと一分、いや、まだ三十秒」と落ち着かない様子で台所をうろうろ歩いた。
やっと取り出した缶には細かな霜がうっすら付き、銀色の表面を水滴がゆっくり滑り落ちていく。プシュッという音が静かな部屋に響くと、冷えた泡が勢いよく立ち上がり、みるくは慌てて缶を少し傾けた。テレビの横には昨日食べた袋みそラーメンの空袋が丸めて置かれ、玉ねぎの薄皮が一枚だけ床に落ちている。エアコンは十八度設定なのに部屋はまだ暑く、扇風機が一生懸命首を振っていた。
「ヒェッヒェッ!」
一口飲んだ瞬間、思わず変な声が出た。喉を通る冷たさに肩の力が抜け、さっきまでの暑さが少しだけ遠ざかる。冷蔵庫から枝豆を出して皿に移し、塩を少し多めに振ると、みるくはパソコンの電源を入れた。今日こそ不思議の魔塔を進めようと思っていたのに、攻略サイトを開いた瞬間、「初心者用の両手剣」「ぶんまわし型」「ミニタン」と知らない言葉が並び、思わず眉をひそめる。
「初心者なのに初心者用の説明が難しいって、どういうことなの。」
そう言いながら笑ってしまう。別のゲームでは初心者ダンジョンに三か月こもって友達に笑われたことを思い出し、「あの頃から変わってないな」と缶ビールをもう一口飲んだ。急いで強くなるより、敵を全部倒して、宝箱を全部開けて、安心して次の階へ進むほうが性に合っている。誰かより遅くても、ちゃんと前へ進んでいるのだから、それで十分だ。
ゲームを起動すると、画面の中には白い衣装をまとったみるくが、青い海を背に静かに立っていた。暑さなど知らない顔で風に髪を揺らす姿を見ていると、自分まで少し涼しくなった気がする。缶の最後の一滴を飲み干し、机の横に置いてあったタオルで手を拭くと、みるくはコントローラーを握り直した。
「よし。今日は魔塔を一階だけ登ろう。……いや、レベルが上がったら二階までかな。」
そう言った五分後、みるくは一階で敵を全部倒し始めていた。遠回りなのか近道なのかは分からない。それでも画面の向こうでは、小さな一歩が今日もちゃんと冒険になっていた。