寒蝉鳴、お盆を過ぎた海
第三十八候、立秋の次候「寒蝉鳴」。みるくは海辺の庭に立ち、白い貝殻を模したドレスの裾をつまみながら、遠くの海を眺めていた。淡い水色の鱗模様が入った胸元の飾りが夜風に揺れ、耳元の小さな飾りがかすかに鳴る。昼間の熱を残した石畳からはまだぬるい匂いが上がっていたが、潮の香りには、ほんの少しだけ夏の終わりが混じっていた。
「みるくちゃん、海に行かないの?」
後ろから声をかけられて、みるくは振り返った。小さなテーブルには、昼間に買ってきた焼きとうもろこしと、冷たいラムネが一本残っている。とうもろこしはすっかり冷めていたけれど、醤油の香ばしい匂いがまだ残っていて、みるくは思わず一本の粒をつまんで口へ入れた。
「行きたいでしゅ。でも……お盆を過ぎたら、海にはくらげがいっぱい出るって聞いたでしゅ」
「本当だよ。だから今日は浜辺を歩くだけにしよう」
「泳がないんでしゅか?」
「泳がない。みるくがくらげに刺されたら大変だからね」
みるくは少し頬をふくらませたが、すぐに海を見た。昼間なら青く輝いているはずの水面は、夜になると深い藍色に変わり、波が岸へ寄せては白くほどけていく。遠くから「カナカナカナ……」と寒蝉の声が聞こえてきて、みるくは耳を澄ませた。夏の盛りには、蝉の声がうるさいくらいだったのに、今夜はその声が少し遠く感じられた。
「ねえ……夏って、いつ終わるんでしゅか?」
「気づいたら終わってるんじゃないかな」
「じゃあ、急がないといけないでしゅね」
「何を?」
「冒険でしゅ!」
みるくはそう言うと、テーブルの上に置いてあった小さな冒険用の鞄を肩へ掛けた。中には地図、ハンカチ、干し肉、それから昼間に買った小さなクッキーが三枚入っている。念のため水筒も確認してから、みるくは海岸へ向かって歩き出した。
砂浜には昼間の足跡がいくつも残っていたが、夜風が少しずつ輪郭を消していた。みるくは貝殻を一つ拾い、耳に当ててみる。
「海の音がするでしゅ」
「それ、貝殻の中に海が入ってるわけじゃないよ」
「えっ、そうなんでしゅか?」
「たぶんね」
「じゃあ、みるくの耳が海を聞きたいと思ってるんでしゅね」
そう言って笑ったみるくの足元を、小さな波がさらりと濡らした。冷たい水に驚いて一歩後ろへ跳び、二人で顔を見合わせる。夏はまだ終わっていない。それでも、夜の海から吹いてくる風は、次の季節がもうすぐそこまで来ていることを教えていた。
「明日も冒険するでしゅ!」
「もちろん」
みるくは拾った貝殻を鞄へ大切にしまった。帰ったら冷めたとうもろこしをもう一度焼いてもらおうと思いながら、寒蝉の声を背中に聞いて、夜の海岸を元気よく歩いていった。