厨房の爆音と冒険日誌
夕暮れ時のぬるい風が網戸を揺らし、流し台からは焦げついたフライパンと油の匂いが漂っていた。薄い水色の部屋着の裾をまくり上げたみるくは、机の上に置いた冷たい麦茶のグラスを指先で回しながら、ノートパソコンの青白い画面をじっと見つめていた。画面の向こうにいる料理人のフレンドは、厨房での下ごしらえを台無しにされた苛立ちをまだ引きずっているのか、チャットの返信を打つ速度がやけに速い。椅子の上であぐらをかき直したみるくは、昼に食べ残して表面が少し固くなった焼きそばパンを口へ運び、ソースの酸味を舌で転がした。
「休み明け早々、大変だったね。仕込みを食い尽くされて準備をバックレられたら、誰だって怒鳴りたくなるよ」
「ほんとそれ。厨房で包丁握りながら、ずっとラウドネスの爆音鳴らしてたわ。まあ愚痴はここまでにして、今夜こそ冒険日誌の『いいね』を増やしたいんだけど、どうすればいい?」
相手のチャット欄に表示された文字を眺めながら、みるくは机の端に積まれた取り込みっぱなしのバスタオルへ視線を落とした。タオルからはまだ昼間の強い日差しの匂いが残っていて、何気ない日常の気配に少しだけ肩の強張りが解けていく。ただ綺麗に撮っただけの写真を載せても流されてしまうのだから、人が足を止めるのはもっと生々しい生活の熱気ではないかと、みるくは人差し指で唇の端を軽く叩いた。
「きっちり整った攻略記事より、さっきの厨房の怒りをそのまま日誌にぶつけたらどうかな」
「え、あんな愚痴をアストルティアで書いても誰も共感しないでしょ」
「そんなことないよ。『完璧に準備したボスの耐性装備を全部忘れて突撃された時の絶望』とか、『僧侶の祈りを無視して突っ込む前衛への怒り』に置き換えて、脳内でラウドネスを流すの」
「なるほど、ゲームの失敗談にあの苛立ちを重ねるわけか。それならめちゃくちゃリアルに書けそうだ」
みるくは冷えた麦茶を喉へ流し込み、カランと鳴った氷の音を聞きながら、キーボードを軽快に叩いた。日誌を読みに来る人は、完璧な英雄の姿よりも、失敗して地団駄を踏んだり悔しがったりする生身の冒険者の姿にこそ、親しみを感じてボタンを押したくなるものだと確信していた。
「そうそう!最後に『なんてね』って笑って締めれば、みんな絶対に共感していいねを押してくれるよ」
「よし、仕込みの恨みを込めて全力で書いてみるわ。今夜の酒がうまくなりそうだ」