きんもくせいの小さなオレンジの花の香りに誘われて
みるくが花屋へ入ると、きんもくせいの甘い香りが鼻先をくすぐった。白い髪には淡い桃色の花飾り、黒と金の上着には庭仕事でついた土が一筋残っている。店内には青や紫の花が並び、焼きたてのパンに似た匂いまで漂っていたが、入口の札はまだ「準備中」のままだった。
「今日こそ開店するの?」
腕の中の黒いねこが、答える代わりに小さく鳴いた。みるくは勝手に応援されたと思い込み、花籠を三つ並べたが、値札も釣り銭も用意していない。慌てて机の引き出しを探ると、食べかけのクッキーと、去年拾ったどんぐりが二つ出てきた。
「どうしてお金の代わりに、どんぐりが入っているのよ。あなたが隠したでしょう」
ねこは丸い目でみるくを見上げ、しっぽで彼女の袖をぱたぱた叩いた。濡れ衣を着せられたらしい。みるくは頬を膨らませたものの、机の下から自分の字で「どんぐり貯金」と書いた袋を見つけ、そっとクッキーを半分差し出した。
そのとき、開いた窓から風が入り、きんもくせいの小さな花を床いっぱいに散らした。オレンジ色の粒は、緑の絨毯へ落ちた星のように見えた。みるくは掃除を後回しにして、その香りを追いかけるように庭の奥へ進んだ。
「待って。あそこにも花があるよ」
返事をしたのはねこではなく、植木鉢の陰にいた小さなスライムだった。頭にはオレンジ色の花が一輪乗り、体には赤いリボンが絡まっている。みるくは助けようとしてリボンを強く引き、かえって結び目を固くしてしまった。
「じっとしてって言ったでしょう!」
声を上げた途端、スライムはぷるぷる震え、ねこはみるくの腕から飛び降りた。みるくはしゃがみ込み、朝食に食べたバタートーストの匂いが残る指で、今度は結び目を少しずつ緩めた。やがてリボンがほどけると、スライムはお礼にきんもくせいの花を一輪置いて跳ねていった。
店へ戻ったみるくは、その一輪を「開店準備帳」の表紙に挟んだ。今日も値札はなく、釣り銭箱にはどんぐりしかなく、花屋はまだ開店できない。けれど夕方までには、入口の札へ小さな文字が一行増えていた。
「明日こそ開店予定。たぶん!」
黒いねこが札の下でくしゃみをすると、挟んだはずのきんもくせいが一輪、帳面から床へ落ちた。みるくは拾わず、その場所を明日の掃除の目印にした。甘い香りだけは、まだ誰も来ない花屋の扉から、町の通りへこっそり流れ出していた。