今さらなんですが、クリアしてきましたので感想です。ようやくマスターポイントが18になったよ!!
一言でいえば、とてもよかった。終わった後の感傷に浸りつつも、小ざっぱりとした清涼感が心地よいですね。流れが秀逸でした。熱くそれでいて悲しい物語。よく言えば王道的であり、悪く言えば陳腐です。ただ、それを絵本の中の出来事として、絵本の作者を通じて展開していく着想が、飽きや既視感を上手に隠していて見事でしたね。それでいて、物語の本筋がしっかりと定まっていたのも高評価です。
人を恨むことは、とてもエネルギーを使うことです。嫌いになる程度であれば、一瞬のうちに心変わりすることが珍しくないほど造作もありませんが、恨むまで行くと話は別。私はそれほど他者に執着を抱かないので、嫌いな人こそ数多いですが、他人を恨んだ経験は一度もありません。
異常に映るほどの、ザンクローネに対するグレイツェルの執着心。片をつけようと思えばすぐにでもつけられるはずなのに、いたぶり、傷つくさまを延々と愉しんでいる。まさしく、狂気に満ちており、これが人を恨むということなのだとありありと伝わってきました。
愛憎という言葉がありますが、本当に言いえて妙だなと感じます。何故愛と憎しみをセットにしたのか。その2つが、紙一重の上に成り立っている関係であるからなんでしょうね。人間というものは、期待すればするほど、落胆したときの落差が大きければ大きいほど、過剰に反応する感情的な生き物です。客観的にみれば、ただ一言、勝手に期待して、勝手に終わった。それだけの話がほとんどなんですが、それで終われないのが人間の性ってやつなんでしょうかね。
愛するあまり、知らず知らずのうちに相手にも同様の愛を要求する。それが満たされない場合、相手を恨むことで、愛の欠如を補おうとする。愛が重ければ重い程に、相手を恨む力も強くなる原理の仕組みでしょうか。
村人から村八分にされ、救いも希望もなく、祈りに縋るしかない殺伐とした人生に、突如現れたザンクローネというまばゆいばかりの光。どうして期待しないでいられようか。クレルが自分勝手に、自分だけを見てほしいと願ってしまったのも、無理のないことですね。
勝手に期待して、勝手に絶望する。挙句の果てに、魔女に姿を変え、恨み、呪い、襲ってくるのですから、本当に身勝手な話です。
だからといって、それを断罪できるほど盲目的になれないのもまた事実。最後に彼女が救われたことに、心の底から安堵したのは語るまでもありません。
クレルがザンクローネに切られそうになった瞬間、覚悟を決めているのがとても素晴らしい。自分が何をしているのか、間違っているのか、心の底では理解していたのでしょうね。それでもなお、止められないほどの激情に身を支配されていたのでしょう。ザンクローネが消えかかっているときに、必死に止めようとしていたのが彼女の本音であり、嘘偽りなくザンクローネを愛していた様が手に取るように理解できました。愛するほどに恨めしい。その表現がぴったりと似合う場面でした。
英雄とはエゴイズムである。ザンクローネもまた、身勝手なんですね。生きていることが救いであるなんて保証はどこにもありません。死んだほうがマシ、そんな状況はいくらでも想定できますから。それでも、彼は生きていることこそが救いであると、クレルを無慈悲に独り残して消えていきました。本当にこれが正しい選択だったのか。そんなことは誰にもわかりません。物語的には美しい。されど、その先に待っているのは悲しみの繰り返しかもしれない。だからこそ、エゴを貫き通す不屈の精神が重要なのです。疑問に思った時点で破綻する。相手にそれが伝わってしまえば、救えるものも救えなくなる。ただ、がむしゃらに、ひたむきに、自分勝手を最後までやり通す。その姿勢に、救われたクレルも、それを見ていたプレイヤーたちも、信じたい。そう願わずにはいられなくなる。それこそが、英雄の真髄であると、私は思いました。
最後に この物語を描くアイリとパンパーニの話。
こちらもこちらで素晴らしい。人生とは何を考え、何をしてきたかがすべてだと常々考えています。そのため、自分の意思を継いでくれる、これに勝る生の充実感に勝るものはそうないでしょう。自分の孫が、自分の描いた絵本の続きを書いてくれ、かつ自身の思い描いていた結末すら超えてくれる。まさに思い残すことは何もない。本望である。そんな表現が浮かんできましたね。お互いに尊敬しあい、認め合っているからこそ生まれる関係性です。私もかくありたいと思うばかりです。
筆が一切止まらず、長くなりましたが。
ザンクローネ、かっけぇんすよ……。マジレンダーシア編は最高。ドラクエ史上ナンバーワンだと思ってる。