そう思わない8割の提案が採用されるという、虚構新聞か!(挨拶)
今日のテーマはこちら。
「真実はいつも1つ」
年を取らない名探偵が、あれれぇ~と語りかけてきそうな話題でいきます。
今回は伝言ゲームのお話。
実社会ではエビデンスとやらの言葉で一括りにされるかもしれませんが、水素水しかり科学では説明できない、信じるも信じないもアナタ次第な事柄って多いですよね。
結論的な方面から申せば、手元にある情報や事柄を判断するのは、あくまでもユーザ本人であるということを一度自分の胸に手を当てて感じていただければ今回は十分満足なのです。
伝言ゲームとは、人伝てに聞いたりしていくときに、少しずつネジ曲がったりそれが本当かどうかを判断しにくくなる現象で、学校、仕事、友達関係など、ざまざまな場面で注意を払う必要に強いられることがあります。
強いられているんだ!!(死語)
特に、ゲームというよりはチャット文化にとっては、文字が全てです。
日本語であればさらに、その読み方、読み取り方によっては、伝えたいことと伝わった内容に齟齬(そご)が生じたり、誤解を生むことにもなります。
伝言は少なからず誤解というか真実からねじ曲がった事柄を含むことを前提に話をさせていただくと、その伝言ゲーム自体が悪いのではなくて、自分が仕入れた情報について、それを確かめる作業を疎かに鵜呑みにすることは、自分から見える世界の視野を狭くさせる原因であると、ゾーマさんはいつも感じています。
さらにね、どんな真実であれ、むずかしいんよ、真意にたどり着くのは。
ゲームにおいては、様々なユーザ様が、嫌な思いをしたなぁとか、させたかもしれないと思い悩むことがありますよね。
でも、遊ぶという行為の根底にあるのはオンラインゲームこそ、自分は楽しくないといけないけど、他者を排除する理由は1つもなくてさ、自分のどんぐりまなこで見つめた上でどう判断し振る舞うかだと常に思うのです。
その昔、偉い人は言いました。
パンがなければケーキを食べればいいじゃない! と。
真実はいつも1つなのです。
以上が、今回のおしゃべり内容でした。
次回テーマにして欲しいものや感想などはどしどし募集↓します。
まったねー。