『敷島の大和心を人とはば 朝日に匂ふ山桜花』
本居宣長
みなさま、こんにちは。
いまさらモンスターの育成をするのが面倒くさくて、バージョンアップ後からなかなかインする気力が起きないウィルカです。
さて、突然ですが。
あなたは、「神」を信じますか?
…あ、いや別に、宗教の勧誘とかではないですよ(笑)
今回も恒例の、ドラクエとはまったく関係のない私のお話しなどをひとつさせて頂きたいと存じます。

誕生日を翌日に控えた、3年前の8月のある日。
神社にお参りをしたあとに立ち寄ったいつものお気に入りの場所で、「タマムシ」の亡骸を見つけました。
虫の死骸といえばたいてい、6本の脚をくの字に折り曲げて、仰向けに地面に転がっているのが普通です。
でもそのタマムシは、まるで時が止まったみたいに枯草の合間に脚を広げて、生きているときとそのまま変わらない姿で「そこ」にいました。
夏の太陽に燃えるルビーの赤い目玉と、メタリックに輝くアルミのような緑の体。
背中に生えた左右の翅(はね)のそれぞれには、目玉と同じく紅色の筋が、尻尾の先まで一直線に伸びていました。
手のひらに載せて間近で眺めてみると、角度を変えるたびに色合いが変わり、太陽の光を反射したタマムシの体は、まるで人工的に磨かれた玉のように、ギラギラとした光沢を帯びて虹色の輝きを放っていました。
これが、自然のものだなんて。
そのあまりの尊おしさに、私は時の経つのも忘れて、手のひらの中で輝く緑のタマムシを、飽くことなくずっと眺めていました。

…で、そのタマムシを家に持ち帰って、リビングに飾っているドライフラワーの上に今でもずっと置いているのですが。
「虫の死骸を拾って持ち帰るばかりか、家で飾るなんて信じられない。きもい!」
などと、ある一人の女性からは散々に言われました(苦笑)
まあ、普通の人の感覚からすれば、それが当たり前の感情なのでしょうね。
今日日(きょうび)の世の中、田舎のおじいちゃんといっしょに夏休みにがんばって作った昆虫採集の標本を学校に持って行くだけで、「残酷、かわいそう!」と言われて、クラスのみんなからいじめられる時代ですから。
ムカデやゴキブリなどの一部を除いて、大人になった今でも虫を触って愛でている私のほうが、異常なのか…。

「神さまなんていない。信じない」
きもいと私を罵った女性は、常日頃から「神社巡り」を行っている私に言いました。
それも一つの答えで、真実だと思います。
でも。
あのとき拾ったタマムシの亡骸が、防腐処理なども一切施していないのに、三年が過ぎた今でもまったく腐敗せずにいるのはなぜなのだろう。
もともと私は、「妙なもの」を見たり聴いたり、気配を感じたりすることが時々あったものの、神社巡りをするようになってから、件(くだん)のタマムシを拾ってから、その気配を感じる頻度が上がったのはなぜなのだろう。
そして、神社に行くと、心が安らぐのはなぜなのだろう。
日本人は昔から、自然のものや人工物に至るまで、すべてのものには「神」が宿るとして、大切に扱っていました。
大事に使い古された毛筆や鑿(のみ)で魂を描き出し削り出し、そうして自らと共に最期までいっしょに働いてくれた相棒たちを、神社などに奉納して供養まで行う。
たかが「道具」にそこまで想いを込めるのは、世界でも珍しい例ではないでしょうか。
だから日本人の作ったものは、世界最高品質と謳われているのでしょう。
それは、ただの「物」ではなく、作った人の魂が込められている「命」だから。

『尊いものや優れているものだけでなく、悪しきものや奇妙なものなど、人智の及ぶところではない存在すべてが神である』
上記は、『古事記』の注釈を行った江戸時代の国学者「本居宣長(もとおりのりなが)」の言葉です。
これこそが、八百万(やおよろず)の神として「神社」に祀られている、日本の神さまのすべてを言い表しているものだと思います。
私と違って霊感のある親友は、「みだりに独りで神社に行かないほうがいい。中には、強い祟りを持った神さまもいるから」と、私に忠告をしてくれました。
実際、私が訪れた神社の中にも、「祟り」を鎮めるために祀られているものが少なからずありました。
でも、人気のないそのような神社に独りでお参りをしても、怖いような感じはまったく受けないばかりか、むしろ「心地良い」気持ちになることのほうがほとんどでした。
そして、私が今までに感じてきた「妙なもの」。
それらも全部ひっくるめて「神さま」として、私の体験談などもお話しできたらいいなと思います。
それではまた♪
みなさまにも
良き風が吹きますように
ウィルカ