
「随分と……大変な戦いだったそうだな」
「うん……」
少年はこくりと頷いた。土壁からじんわりと漂う湿気が背中にまとわりつく。
私も話には聞いていた。
あらゆる武器や呪文を寄せ付けぬ悪鬼フーラズーラ。その脅威の前にアマラークはなすすべもなく、兵士にできるのは身を犠牲にして市民を逃がすことだけだった。
いつしか死ぬことだけが兵士の名誉となり、人々はただ不幸が自分の頭上を通り過ぎてくれることを祈るのみ。家族や友人を失い、兵士を身代わりにし、それを天災と諦め、俯いて過ごす日々……。
それでも、この地から離れることはできない。荒涼たるゼニアス。このタービアを捨てて生きていけるはずもない。
ゼニアスの楽園、豊かなるタービアは、彼らの地獄でもあったのだ。
そんな彼らに「気」を使った武術を広めたのが武闘家ジーガンフだった。彼らはようやく災厄に立ち向かう武器を……そして誇りを手に入れたのだ。
「今度フーラズーラが襲ってきたら、僕も自分で倒すんだ!」
少年は拳を握り締める。その意気だ、とジーガンフは背中を叩く。
「僕も早くウサギさんクラスに上がりたいなぁ……」
彼は同年代の子供たちを見つめながら呟くのだった。
私は自分の胸にぶら下がったリスのバッジを指でつまむ。さっきから気になっていたのだが……
「……何なんだこのネーミングは……?」
「いや、俺も最初は白帯とか黒帯にしようと思ったんだが、民間人にはこの方が親しみがわくと言われてな……。まあ名前で戦うわけじゃあないからな」
ジーガンフもさすがに頭をかいた。色々と苦労しているようだ。

「ところで、食料の件はどうなったんだ? 色々と忙しいと聞いたが」
「ああ」
私は頷いた。
あれから話は大きく動いていた。
さすがに王の一存で全てが決まるというわけにもいかず、輸入の判断に向けていくつかの試みが予定されている。
中でも大掛かりなのが、町の広場を使用した試食会だ。一般国民にも味を知ってもらい、評判を確認しようというわけである。
城下町ではアストルティアのドワーフ達とアマラークの料理人たちが会場設営に奔走中。私はその合間を縫ってここに足を運んだという次第だ。
「しかし、あのリズク王……やけにサバ缶にご執心だったな……」
私は会食の様子を思い出す。リズク王は最初から妙に乗り気だった。
「魚が好きなのかな?」
「いや、聞いたことがないな。ワインは好きらしいが」
ジーガンフも首をかしげた。フム、と私は腕を組む。
「元々それが目的とはいえ……いきなり向こうから輸入を切り出してくるとは思わなかった」
「それは実際驚きでしたな」
と、会話に参加してきたのは、アマラークの兵士、ガンナーム氏だった。年配の兵士で、浅黒い肌に精悍な顔つきが印象的である。

彼は割り込んで失礼、と断った上で語り始めた。
「私の実家は商売をやっていまして……。苦労話もよく聞くのですよ。特に王宮で扱う食品は業界内の争いが激しいそうで、父もなかなか参入できないと愚痴を言っておりました。特に魚介系は厳しいのだとか」
なるほど、と私は顎に手をやる。
「よほどの品質が求められる、ということですかな?」
「それもあるでしょうが、他に細かい決めごとがあったり、役人とのツテも要るとか……どうも面倒なことが多いようですな」
王宮ともなれば、自由競争とはいかない面もあるのだろう。王、貴族、序列、体面。遠くゼニアスの地にあろうと、そのあたりの事情はアストルティアとそう変わらないようだ。
逆に言えば、そんな面倒な場所に我々がスルリと潜り込めたことはかなりの幸運と言うべきだが……
国王リズクの、あの翡翠色の瞳が脳裏によみがえる。柔和でほがらかで、しかし透徹した意思を宿す眼差しが……
一方のガンナーム氏は静かに瞑目し、嘆息した。
「私は兵士です。国のために死ぬことが男の誇りと信じ、商売などは男の仕事ではないと嫌っておりました。……しかし、父も苦労していたようで」
氏は首を傾け、はにかむように頭に手をやる。
「死ぬことだけが名誉と考えていた。己の狭量さに恥じ入るばかりです」
と、ぴょこんと割り込んだ頭がある。先ほどの赤毛の少年だ。
「知ってる! リズク様がそれを叱ってくれたんだよね」
少年は我がことのように嬉しそうに飛び跳ねた。