
再び、地下闘技場。夕刻を過ぎてなお、熱気渦巻くジーガンフの道場。試食会準備の合間を縫って、私の修行も続いていた。
今回は木剣ではなく徒手空拳。ロープに吊られたターゲットに、拳を、蹴りを叩きつける。
武闘家としての私の技は、洗練には程遠い。基礎訓練のために格闘術を習ったことはあるが、それも体力づくり程度の話だ。
だがジーガンフに言わせれば……
「それでいい! 少なくとも気の扱いについては、そっちの方が筋がいい。今の呼吸を忘れるな!」
私の不格好な蹴り技に、師範は太鼓判を押した。使い慣れた剣より、無我夢中で繰り出す技の方が"気を通わせる"には好都合……なのかもしれない。
「正直、実感はわかないが……」
「いや、パンチはともかく、蹴りはなかなか良かったぞ」
そういうものだろうか。首をかしげる。まだまだ"リスさん"バッジは胸から外れそうにない。
隣では、いつかの赤毛の少年が私と同じように汗を流していた。"ウサギ"の子供達の方をチラチラと伺いながら、少々焦り気味の様子だ。呼吸することすら忘れたかのように無我夢中で矢継ぎ早に拳を繰り出す。私から見ても、体の軸が定まっていないことが分かった。
「頑張りすぎは体に毒だぞ」
私はあえて軽い口調で彼の頭に布を押し付け、汗を拭ってやった。彼は肩で息をしながら地面を見つめる。
「ぼ、僕はまだ、全然上手く、なれてないから、もっと、頑張らないと……」

ジーガンフも見かねたようだ。彼の隣にしゃがみこみ、諭すように肩を叩く。
「向こうが気になるか?」
師範は"ウサギ"たちを顎で示す。少年は俯いたまま肩を震わせた。
「だってこのままだと、皆に置いてかれるみたいで……」
「他のみんなと同じになりたいから、武を学ぶのか?」
ジーガンフは静かに少年の目を見つめた。しゃがみこんでなお巨岩のような男を、少年は小さな瞳で見上げていた。ジーガンフはゆっくりと口を開く。
「前にも教えたとおり、気とは生命の力だ。俺の仲間は、創生の力とも呼んでいた。人がそこに存在しようとする力。揺らぐことなく己自身を存在させようとする力。それがなければ、人はこの世に存在することすらできんらしい」
少年は無言のまま耳を傾ける。私もまた、耳を傾けていた。気。創生の力。そして創失の呪い……。
「俺も全ての理屈が分かるわけじゃないが、一つだけ言えることがある」
彼は肩に置いた掌に力を込めた。少年の身体が緊張に強張る。
「……それは、後ろ向きな気持ちで習得できるものではないということだ」
ぐらりと、少年の肩が揺れた。師範の腕は微動だにしない。
「他人と自分を比較するのが悪いとは言わん。だが自分自身がどうしたいのか、何故強くなりたいのか、よく考えることだ」
ジーガンフは少年の瞳をじっと見据えた。少年の瞳が揺らぐ。そして逃げ場を求めるように視線を地面に堕とした。オーガは巨岩のような体をゆっくりと起こし、彼に背を向けた。
「今日はもう上がれ。体を動かすだけが修行じゃない」
「はい……」
少年の小さな背中が遠ざかっていくのを、巨漢は無言のまま見送った。
リスを置き去りにしたまま、ウサギの子供達はなおも技を振るい続ける。熱気と共に。
「揺らぐことなく己自身を存在させようとする力、か」
私は己の拳を見つめながら呟いた。
「創生の力……言うなればこの世界に対して己自身を証だて、定義づける力、といったところか」
「お前は理屈っぽいな」
ジーガンフは苦笑した。
「頭で考える奴は、いつか正しい道に辿り着く。だがきっかけを見つけるのが下手だ。目をつぶって飛び込む奴の方が、上達が早いこともある」
「言い得て妙だな」
私は肩をすくめ、少し意地の悪い笑みを浮かべた。

「しかし、目をつぶっていたせいで自分がどんな道を歩いてきたのか分からず、道を見失うことも多い、だろう?」
「かもしれん」
かがり火が輝く。熱気は人を燃え上がらせ、時に盲目にする。熱狂の渦の中で、陽炎のように影は揺らぐ。
「だから、修行に終わりはない。……なんて言葉は、便利すぎていかんかな」
ジーガンフが珍しく冗談めいたセリフを口にした。私は笑みを返しつつ呟いた。
「揺るがぬもの、か……」
果たしてこの世に揺るがぬものなどあるだろうか? そんな問いこそ、まさに理屈屋の存在証明だ。確固たる。
私は再び蹴りを放つ。不器用にやるしかない。
甲高い衝撃音。ターゲットは乾いた音を立てて、地下の空に弧を描いた。