
立ち並ぶ古い壁が陽光を阻み、市街に闇を生む。
その闇の中、危険な輝きを手に姿を現した男はライハーナを追い詰めるようにじわりとにじり寄り、振り返った彼女の眼前に素早くナイフを突きつけた。
メイドは無言で両手を上げる。黒頭巾がニヤリと笑みを浮かべるのが、背後からでもわかった。
『先手を取られた……いや、取らせたのか?』
ライハーナの瞳は刃と自分、男との距離を冷静に推し量っているように見えた。追い詰められた鼠の目ではない。
戦士の眼光である。
私は腰の剣に手をかけた。いつでも飛び出せる。ライハーナの合図を待つ!
「随分目が利くようだが、後ろにも目をつけておくんだったな」
黒頭巾が凄むように顔を近づける。メイドは涼しい顔で受け流した。
「次からの参考にさせていただきますわ」
「残念だが姉ちゃん、アンタに次はねえよ」
彼は獰猛に刃を光らせた。
解放された使いの男もまた、憎悪に瞳を燃やしながら腰の剣を抜く。ターバンは、まだのたうち回ったままだ。
「言え! 誰の差し金だ!」
「ご想像の通りだと思いますが」
ライハーナは動じもせずに答えた。黒頭巾が危険な笑みを漏らす。
「なら、ここで死んでもらうしかねぇな」
メイドの瞳が薄く笑う。
「汚職だけにとどまらず、反逆罪にまで手を染めるおつもりですか。アスカリーの方々は」
その言葉に、アスカリーの使いと呼ばれた男が怯んだように呻き、剣を震わせた。アスカリーなる貴族らしき家の名。汚職に反逆……どうやらシナリオが読めてきた。
「黙れ!」
黒頭巾が激昂したようにナイフを額に近づけた。ライハーナが一歩下がる。ナイフが一歩詰め寄る。緊張にメイドの手足が震え、そして……
まるで仰向けに倒れ込むように、彼女は身をのけぞらせた。ナイフが一瞬、体から離れる。これが合図だった。
「応!!」

私は矢のように跳び出し、獣のような声を上げた。黒頭巾が振り向く。ライハーナはその隙にのけぞった身体を両手で跳ね上げ、華麗な宙返りで空を舞った。藤色の髪が宙になびく。アスカリーの男はその動きに翻弄され、取り乱す。次に彼女の身体が地に降りた時、ライハーナは完全に男の背後を取っていた。
私は剣を抜き放ち、黒頭巾の手元を狙う。鋭く、小さく! 男は一歩下がって初撃をかわし、反撃に出る!
「………!」
……そこが狙い目だった。隼の宙を舞うが如く。返す刀の連撃が男のナイフを弾き飛ばした。乾いた音が路地裏に響く。男は目を見開いた。
すかさず踏み込み、左肩に体重を乗せて衝突させる。もんどりうって男が倒れる。その喉元に私は切っ先を突きつけた。
「殺しは厳禁!」
アスカリーの男を縄にかけたメイドが警告を発した。喚いてたターバンの男も、いつのまにか捕縛済みだ。
「この三人には、じっくりと話を聞かせてもらう必要があります。特に、こちらのお方には」
アスカリー家の使い……そう呼ばれた男はがっくりと項垂れた。
捕り物はこれで終わりだった。
*
三人はライハーナの呼んだ兵士たちの手により連行された。引き渡しの瞬間、ライハーナは兵士らに何事か告げたようだった。彼らは途端に神妙な顔つきとなり、彼女に一礼して去っていった。
ようやく一息つき、私はターバンを外した。
「大した手際だが、私が来なかったらどうするつもりだったんだ?」
肩をすくめる。かなり危なっかしいやり方である。
「その時は頭巾の彼がつけてきた時点で引き返してました」
「彼の尾行も私の尾行も、お見通しだったわけだ」
ライハーナは目を細めて笑った。虫も殺さぬような顔をして、相当手慣れた様子である。私はため息をついた。
「それで、あえてあの黒頭巾を泳がせ、手を出させた」
「せっかく掴んだ尻尾です。罪状は多い方がよろしいでしょう?」
大胆な台詞だ。私は苦笑した。
「試食会を台無しにしただけでは、言い逃れされかねない、と」
「ええ。でもか弱いわたくしにナイフを突きつけたとなれば、どう見ても、でございましょう?」
私は先の見事な宙返りを思いだした。随分とか弱いメイドさんである。
さて……
「もはや答え合わせにしかならないが、一応聞いておこう」
路地に陽光が注す。私は白日の下にさらされた彼女の顔を覗き込んだ。

「君は何者だ?」
「あなたの考えていることが正解ですよ」
ライハーナは頭巾の男に返したのと同じ言葉で私に答えた。
「では質問を変えよう」
私は視線を上に向けた。アマラークの赤屋根に。
「……リズク王の狙いは?」
メイドの細めた目が開かれ、唇の端がゆっくりと上がっていった。