「アスカリー家当主、ナビール・アスカリー、逮捕……か」

速報紙に太文字が躍る。私はその文字を眺め、そして踊る人々に目をやった。右へ左へ。大物貴族の逮捕に城内は大騒ぎだ。
一方、稽古用の巻き藁は静かなものだ。地下訓練場。あれほど熱気渦巻いていた修行場に、今は数人の訓練生が素振りを繰り返すのみである。
あの事件の後、一人の貴族が身柄を拘束された。ナビール・アスカリー。城に出入りする御用商人に多大な影響力を持つ大役人である。
「だが裏では悪徳業者と手を組み、私腹を肥やしていたらしい。なんとフーラズーラ騒動の最中からずっとだ」
私は紙面をざっと舐め、目の前の男に視線をやった。ジーガンフは無言。その目元は波一つ立てない。岩のような男なのだ。
ジーガンフが道場を開いて以来、城内を訪れる人間が急増し、大量の食糧が必要となったことはリズク王の語った通りである。となれば商人達はこぞって手を挙げる。アスカリーはその商人の選定に関わっていた。
「で、贈賄を受けて特定の業者から落札するように細工していた、ということらしい」
だが流通経路の偏りと不自然な落札価格を怪しんだリズク王が秘密裏に調査を開始、城内に"草"を放った。ライハーナもその一人だ。

アスカリーも二重三重に業者を経由させていたが、糸を辿ると同じ元締めにたどり着くことが判明。王はほぼアスカリーの関与を確信していたが、決定的な証拠がない。
「そこで一芝居打ったわけだ」
私はサンプルのサバ缶を手元で弄んだ。サバ缶の大量輸入。食品の中でも特に魚介類の流通はアスカリー家が独占している状態だった。だがいくら流通の総元締めでも、アストルティアからの輸入にまでは手を出せない。既得権益確保のため、彼は動き出す。
入念なことに、王は妨害の機会まで自ら提供した。件の試食会だ。会場は宮廷内ではなく町の広場。妨害しようと思えばいくらでも手を出せる状況を自ら作り出した。
「それで、あらかじめスタッフに密偵を忍び込ませておいて……手を出したところを追跡。罠にかけたんだな」
「お前はまんまとダシに使われたというわけか」
「ああ。何から何まで計画通り……恐ろしい王だよ」
私は肩をすくめる。缶詰のサバでとれたダシはさぞかし濃厚だっただろう。国民にとっては頼もしい限りだ。
「で、輸入の話は無しか」
「いや」
私は首を振った。王としてもアストルティアとの貿易は望むところである。流通を丸ごと入れ替えるような大掛かりな話は兎も角として、輸入自体には積極的な態度を示した。罠として利用した我々に対する落とし前の意味もあっただろう。
「それでめでたしめでたし、か」
「ああ」
素振りの音が響く。やけに寂しい。あの熱気が嘘のようだ。
兵士たちが黙々と剣を振るう。私は周囲を見回した。
「あの子供たちは……」
「この騒動で城が忙しいだろうから遠慮する、だそうだ。……かれこれ一巡り以上もな」
「そうか」
地下訓練場の土が、冷たい空気にじわりと湿る。
役人に不祥事があろうと、ジーガンフの訓練に支障が出るはずもない。まして、摘発した王の評判が落ちるはずもない。
だが、どこか冷めた空気がアマラークを覆っていた。青空を雲がまばらに流れる。渦巻いていた熱気に水を差されたように、湿った風が通り過ぎる。

「貴公の危惧した通りだったのかもしれんな」
私は呟いた。
一致団結。一心同体。燃え上がるような一体感が若者たちを高揚させ、奮い立たせていた。死こそが誇りと呼ばれた国で、彼らは共に手を取り合い、生きる誇りを取り戻したのである。
だが、アスカリーの汚職はそれを真っ向から嘲笑った。あのフーラズーラとの戦いの最中でさえ、人は一つなどなってはいなかったのだと。誰かが汗を流す裏で、それを利用し私欲に走る者がいる。現実の風は、彼らの背を撫でる氷の刃だった。
「全ての国民が家族や仲間のために戦う、崇高なるアマラーク。その一員であるという誇りが打ち砕かれたわけだ。私欲に溺れる者もいる。……ま、貪欲なのは悪いばかりではないが」
「誇りが幻想なら、いずれ砕けるのは道理だろう」
ジーガンフはきっぱりと断じた。
「俺は彼らに、決して砕けないものを教えたかった。だが……教え方がまずかったのかもしれんな」
巨漢が肩を落とす。見かけによらず繊細だ。
だが……
「そうかな?」
私は肩をすくめた。
私は目の端に、奇妙な光景を捉えていたのだ。
訓練場の入り口で足踏みする影。躊躇うようにこちらを窺い、覗き込む小さな赤毛の少年を。

ジーガンフもそれに気づいたようだ。だが声をかけない。ちらりと一瞥して、また背を向ける。
それから少年が道場の門を跨ぐまで、しばらくの時間が必要だった。