
町の喧騒に微笑を浮かべつつ、神官エステラはその神秘的なまなざしを周囲に向けていた。敵意は無い。だが油断もない。若干の緊張がある。
「エステラさんもこの町には詳しいんでしょ?」
と、彼女の隣で跳ねてみせるのはエルフの僧侶リルリラ。私の相棒である。さらにその隣では、眠たげな眼をこする猫魔道のニャルベルトが欠伸をかみ殺していた。
「明日案内してよ!」
エルフのお気楽な声に、エステラの表情が少し緩む。これが二人の関係だった。
「ええ、リルリラさんなら、きっと気に入ると思いますよ」
神官はにっこりとエルフに笑顔を向けた。
我々とエステラ嬢の出会いは、我々がかつて竜の大地ナドラガンドの探索を行っていた頃に遡る。神に仕える者同士の共感か、あるいは女同士の気安さか、性格は対照的ながら二人は気の合う友人同士だった。
「ただ……」
と、彼女の顔に影が降りる。リルリラもステップを止めた。私は静かにうなずく。ニャルベルトは、二度目の欠伸。
「一応、気を付けてくださいね」
小声で彼女は囁く。曲芸に興じるナブレット団長の身のこなしは、優雅に見えて隙がない。
「心得ております」
私は荷駄に手をかけつつ、調査員たちと住民の間に、それとなく割り込んだ。
一様に明るい笑顔を浮かべた住民たちが私を見上げる。夜。異邦人の来訪。不自然なまでに、笑顔。
ここはムニエカ。人形たちの町。
私は調査報告に記されていた事件を改めて思い返す。ナブレット団長は軽妙な筆致で、こう語っていた。
『危うく人形にされちまうところだったぜ!』
と……。

*
ムニエカの歴史は、数千年以上前にさかのぼる。ゼニアスがジア・クトの侵略にあったとき、一度この町は滅びた。そこでこの町の歴史は終わるはずだった。
だが、それを拒絶する者がいた。誰よりも慈悲深く、誰よりも純粋な、一人の天使だった。
彼女はジアとの戦いに敗れ、なお救いを求めた。死せる魂を人形に移し替え、平和な街を再現した。二度と死ぬことも老いることもない人形たちの町。
以来、永劫の時の中、彼らは終わらない人形劇を演じ続けてきたのだ……そして今も。
「天使は去り、人形だけが残った、か……」
荷馬車を取り囲む人形たちを遠目に眺めながら、私は呟いた。エステラ嬢は静かにうなずいた。
「エドアルドという人形師が彼らを直し続けていましたが、それも……限界だったようです」
限界、という言葉を使う時、彼女の声がかすかに揺れた。技術や素材の問題ではない。言外にそれを匂わせているのがわかった。
戻らぬ天使を待ちながら終わらない修理を繰り返す。その日々が人形師の心を少しずつ蝕んでいた。いや、彼だけではない。終わることのない日々。変わることのない肉体。繰り返される日常。大人になれない子供たち。病んでいた。町そのものが、少しずつ。
人形師エドアルドがエステラ嬢やナブレット団長を拉致して魂を人形に移し替えようとした事件も、そうした狂気の現れだった。

「今では解決した、とのことですが……」
私は若干の含みを持たせて目配せした。
「ええ、そうですね……」
神に仕える淑女はうつむき、小さく肩を震わせた。それは凛と咲く花が、なおも風に抗えず身をよじらせる姿に似ていた。誰かが街灯に火を入れたのだろうか。人形の町に光が灯り、影が踊った。
「……終わったはずです」
エドアルドはもういない。今ひとたび降臨した天使も、最後の力で住民たちの狂気を祓い、去っていったのだという。
あとは緩やかな滅びがこの町を待つ。人形たちの黄昏が。
私の脳裏に、ナブレット団長の言葉がよぎった。当初の懸念が改めて胸に押し寄せてくる。
キャラバンの隊員が荷馬車の幌を外すと、人形たちが声をあげた。交易品の数々。ここからアストルティアとムニエカの交流が始まる。
我々は今、終わったはずの物語を動かそうとしているのかもしれなかった。
最後の荷馬車が広場にたどり着く。
ナブレット団長は人形たちの輪の中で、軽やかに舞っていた。