鎧の淑女は、アーイシャと名乗った。我々に礼を言いながらヘルムを外して汗をぬぐう。そう、汗を。
チュピちゃんのネジをしっかりと締めなおし、ほっと胸をなでおろすのは彼女の息子、アーリフだ。
「ごめんね。もっとこまめに手入れしてあげなきゃ……」
機械鳥を撫でながら、表面を丹念に点検する。友人らしき人形の少女もそれを手伝った。やがてアーイシャがそれを引き取り、わずかな金属部の歪みに小槌をあて、調整していく。まるで熟練の人形師のような手つきであった。
「いえ、人形は実は専門外で……本職は鎧の手入れなんですよ」
はにかんだ微笑みは人形たちの満面の笑みとは少し違う。生ある肉体が生む微笑だった。
*
「……アマラークから、ここに?」
広場の片隅に設けられた簡易休息所。リルリラが淹れた茶をすすりながら、私はアーイシャ母子の話を聞いていた。
この二人はつい最近、アマラークからムニエカに移住してきた人間だった。鎧鍛冶であった夫をフーラズーラの襲撃により失った彼女は、安心して暮らせる土地を求めて北上。シュタール、レストリアを経てムニエカにたどり着いたのだそうだ。
ようやく見つけた安住の地。そこに住むのが人間ではなく人形であったとしても、二人には何の問題もなかった。
「なるほど、それで……」
私は一つ合点がいった。先ほどのアーイシャの動きだ。子供を連れて魔物のはびこる荒野を旅してきたならば、あの俊敏な動きも納得できるというものだ。
「形見の鎧のおかげです」
彼女は自らの鎧をそっと撫でた。亡き夫の名残を愛おしむように。
ムニエカの住民達は二人の移住者を快く受け入れた。人形達は二人のために、自らは口にすることのない食料を調達し、二人もまた鍛冶の技術を応用して彼らのメンテナンスを引き受けた。
「と言っても私はお手入れが専門で、大したことはできませんが……」
彼女は謙遜するが、私も魔法戦士。防具の手入れが口で言うほど簡単な作業でないことはよく知っている。
歪んだプレートの修復、傷んだ金属の磨き直し、留め金や革紐の手入れ。デザインを崩さず自然な形で欠損を補う美術的センスも必要となる。
彼女とその夫の仕事はアマラークでも評判で、王国最高の騎士イルシームの漆黒の鎧も、彼らの"作品"なのだとか……。

「相当な職人だったのですな」
私は茶を一口すすった。
フルプレートアーマーは単に体を守る金属の板ではない。人が入り込んで動かす最小単位の移動要塞なのだ。可動部の調整、サビとの戦い、使用者に合わせたフィッティング……考えるべきことは無数にある。
「人体の形をしていて、中に人が入って動かす物体、か……」
なるほど人形たちとよく似ている。
まるごと適用するというわけにはいかなくとも、鎧のメンテナンス技術は、確かに人形の手入れと通ずるところがあるわけだ。
「ほら、もう大丈夫だよ!」
と、アーリフ少年が改めて機械鳥のネジを締めなおした。チュピちゃんはパチリと目を開き、宙を舞った。
手伝っていた人形の少女が無邪気に手を叩く。機械鳥は彼らの周りをくるくると駆け回り、やがて追いかけっこが始まった。
取り囲む住民たちも安堵の表情を浮かべる。
だがその笑顔はどこか固い。人形だからだろうか? そうではあるまい。誰かが言った。
「よかったなあ、チュピちゃん」
「ああ。チュピちゃんぐらい造りが単純なら、まだまだ修理できるからな」
それはグサリと胸をえぐるような一言だった。人形たちは、笑顔。
私はアーイシャの表情を窺った。鍛冶師の妻は、目を伏せた。
「軽い不調をお手入れするぐらいならできますが、本格的な修理となると、とても……」
エドアルドという人形師は天才だったに違いない。彼女はそう付け加えた。
「でも、私や息子もこれから勉強していきます。ひょっとすれば少しは……」
「まあまあ、ありがたいけど……期待はしないよ」
人形たちは笑顔のまま首を振った。穏やかな微笑みの底に佇む、圧倒的虚無。
「それに私たちが壊れるより先に、二人の寿命の方が尽きるだろうからね」
この町の物語はもう終わっている。再度、ナブレット団長の言葉が脳裏をよぎる。
人形たちの静かな笑顔が、その言葉を肯定していた。
アーリフと共にチュピちゃんを追いかけていた少女が、ふと立ち止まった。アーリフは気づかない。
「……あと10年もしたらアーリフ君も大人になっちゃうんだよね」
人形の少女……オネットは、少年の背中をぼんやりと見つめていた。

「アーリフ君がお爺ちゃんになっても、私は子供のまま」
少女は呟くと、色のない笑みを浮かべた。
「ちょっと寂しいな」
人形の顔に穿たれた幼い瞳には、奇妙なほど成熟した光が宿っていた。