
夜。
眠りを知らぬ人形たちが布団に入る。
地が荒れ、人が死に絶え、幾星霜の月日が流れようとも太陽と月は規則正しく円環を描き続ける。
人形たちは自らがその永遠の一部であることを証明しようとするかのように、在りし日の自分を演じ続けるのだ。
我々に提供された部屋のベッドも完璧な手入れが施されていた。
ニャルベルトが布団に埋もれ、私も一息つく。隣の部屋からリルリラが飲み物をもってドアを叩いた。エステラ嬢もだ。小さな茶会になる。自然とチュピちゃん騒動やあの母子の話が口をついて出た。
「それにしても人間の移住者が既にいた……というのは、少々意外だったな」
という私の台詞は、半分は嘘だ。
「今のゼニアスで人が住める、貴重な拠点ですからね」
神官エステラは思慮深げに顎に手を当てた。リルリラが頷き、私は天上を見上げた。
ゼニアスは蘇りつつある。大陸の血管たる街道もまた命を取り戻し、幾多の濁りと活力を宿しながら血液はめぐり始めた。エステラの言うとおり、ムニエカは貴重な場所だ。アーシャ母子のようにここを訪れる旅人も、これからますます増えていくだろう。我々のキャラバンは明らかにそれを後押しする存在だ。
「アーイシャさんたちもアマラークに帰るつもりはないみたいだしね」
と、リルリラは茶菓子を一つつまむ。
我々はあの後、アーイシャにアマラークの現状を伝えた。アストルティアから訪れた武術家ジーガンフが『気』の概念を通してフーラズーラ対策を確立し、王国は危機を脱した。今やアマラークこそがゼニアスで最も安全な国と言えるだろう。
ちなみに、私も『気』の習得を試みたが、こちらはどうも上手くいかなかった。私は剣を握った腕から『気』を発するのが極端に苦手なようで、蹴り技でしか『気』を操れなかったのである。……ま、誰にだって得手不得手はあるだろう……

……閑話休題。ともあれ、今のアマラークはかつてのような危険な土地ではない。リズク王も去っていった国民に対して帰国を促すお触れを出している。我々のキャラバンと共にこの町を離れ、そのままアマラークに戻る……それがアーイシャ母子にとって最も自然な選択のように思えた。
だが、アーイシャは首を縦に振らなかった。夫を亡くした悲しい思い出とは、まだ少し距離を置きたいとのことだ。
「それに、鎧鍛冶としてはこの土地は理想的なんですよ」
と、彼女は声を弾ませて語ったものだ。何でもこの付近に生息するリターナーモアの羽毛は鎧の仕上げに最適な道具になるそうだ。水の性質や近くで採れる鉱石も彼女の仕事と相性が良い。鎧だけでなく幅広い用法がありそうだ、とはドワーフの調査員の語るところである。おかげでキャラバンは空の荷馬車を持ち帰らずに済みそうだった。
「アーリフも鍛冶の仕事に興味を持ってくれましたし、いつか私たちの作る品がこの町の名物になったら、なんて思うんです」
アーイシャはそう語った。人形たちもそれを手伝おうと好意的な言葉をかけていた。これは産業の始まりだろうか? 交易を目的とする我々にとっては望ましい変化だった。
だが。
「難しい顔しちゃって」
リルリラは私の頬を指で突いた。
「そりゃ、難しいさ」
「ナブレット団長の言ってたこと?」
リルリラは私の懸念を言い当てた。それはつまり、彼女も同じことを考えていた証拠である。
エステラ嬢も同じだ。静かに口を開く。
「交易が始まればこの町は蘇るでしょう。ですが……」
「それがこの町の住民に何をもたらすか、ですな」
「そうなんだよねぇ」
リルリラは手元で何かをもてあそんだ。
「これ、売れててさ……」
「何だ?」
私は彼女の手元をのぞき込んだ。子供向けの童話、寓話、あるいは説話……絵本である。異世界との交流なら絵のついた本がいい、と持ち込んだ輸出品の一部だ。

「読んだ人から聞かれるんだよね。この話はどういう意味?って」
「文化が違えばわからんこともあるだろう」
「なんだけどさ」
と、彼女は絵本の最後のページを開いて見せた。親切で正直な翁は困難を乗り越えて神の祝福を受け、意地悪なもう一人の翁は地獄のオニに罰を受ける。よくある話だ。が、しかし……エルフは小さくため息をつく。
「オネットちゃんに聞かれちゃったんだよね……カミサマって何?って」
胸元の聖印にエルフの指が触れる。
彼女はこれでも聖職者の端くれだ。相手がアストルティア人であれば、それらしい説法の一つもできるだろう。だがここはゼニアス。
「神なき地、か……」
風がそよぐと照明が揺れ、影は惑うように揺れ動いた。