
赤黒い眼光よりも速く、牙が空間を射抜く。
私の剣がそれに反応できたのは、半分は偶然だった。
衝撃が走る。
眼光は宙に赤い糸を引くように舞い、着地する。私は剣を構え、その影と対峙する。
黒く逆立った毛並み。赤く光る瞳。獰猛な牙。
荒れた岩肌と痩せた木々の向こう。神獣ゼナベスティアの姿が、私の前に立ちはだかっていた。
*
メネトに届いた二つの報せ。その一方は吉報、もう一方は凶報だった。
吉報は"隊長"殿の帰還。アスバルとコッケン様の儀式を助ける天使の力を見事持ち帰ったのだ。英雄は早速広場へ向かう。
それを阻むように第二の報が届く。つまり、ガナン兵の襲来だ。
「お前はアスバルにそいつを届けてやれ! こっちは俺たちが引き受ける!」
ヒューザが勇ましく宣言し、それが作戦方針となった。隊長が広場に向かう間、我々が食い止める。
既に何度か戦った相手。時間稼ぎ程度なら造作もない……そのはずだった。
あの黒い影が戦場を横切るまでは。

「なんだ、あいつは!?」
兵たちが悲鳴を上げる。空高く舞い上がった黒い獣が、神の鉄槌のように雷を落とす。雄たけびと共に大地を焦がし、兵を蹴散らし、防衛柵を灼きちぎる。なだれ込むガナン兵に防衛軍は押し込まれる。
「あいつをなんとかするニャー!」
叫ぶニャルベルトが続けざまに火球を見舞う。黒い影が赤く染まる……だがその火球を足場にするかのように、獣は跳躍し、高い岩の上に着地した。
「ニャ!?」
「私がやる!」
弓を射る! 五月雨に、四つ! 光陰の如く、五つ! 閃光を放ち、六つ!
神獣はそのすべてをかわしてみせた。影が空に舞うかのように、狭い岩の間を獣が駆ける。
だがそれでいい。少なくとも注意を引き付けることができる!
ヒューザが押し寄せるガナン兵の群れを全身全霊の一太刀で押し返し、崩れかけた兵たちを立て直す。
それを横目で確認しながら、私は私は地を蹴り、影を追った。影の流れる先、着地点を。
途中から向こうも気づいていたのだろう。眼光が突き刺さる。
そして示し合わせたように、私と獣は同じ大地に着地した。狭い山道の中で、小さく開けた窪地のような場所だった。
湾曲した足場を爪とブーツで踏み固めながら、一人と一匹がにらみ合う。
……初めての対峙ではない。
「……あの時以来か」
私は口に出してそう言った。獣の目は、ただまっすぐに私を見据えていた。
かつて、神の遺構において相まみえた神獣。眼光は空を射抜き、咆哮は岩をも揺らす。
だが、どこか……その姿を小さく感じるのは、気のせいだろうか。
今、魔獣が跳ねた。弾丸のように一直線に、牙が迫る。それを私は受け止めていた。ネレウスソード! 水晶の刃が牙と重なり、歪んだ音を奏でる。
重い。
私は二歩さがり、衝撃を受け流した。
……それだけだ。
踏み込む!
獣は弾けるように素早く後退し、再びにらみ合う。
その視線は私の腕に、剣に……吸い込まれるかのようであった。

*
撃ち合うこと十数合。
雷撃の合間を縫って剣が閃く。迎え撃つように獣が爪をふるう。決して躱そうとはしない。それは神獣のプライドか、それともよけるに値しないということか。
衝撃が響く。
息が上がっているのは私の方だ。だが、時間稼ぎはできている。
そして戦いの中、私は当初の違和感が確信に変わるのを感じていた。
『以前より、軽い……』
かつて相対した神獣の圧倒的迫力。それを思えば、私一人でここまで戦えること自体が奇妙なのだ。
『それに、味方を助けようともしない……』
樹林ひとつ跨いだ山道からは、今も激しい打ち合いの音が響いてくる。乱戦となっているようだ。
そこにこの獣が飛び込めば、防衛隊の兵士たちを一網打尽にできるかもしれない。少なくとも混乱させることはできる。私が相手の立場なら迷わずそうするだろう。
だが、やらない。私一人を敵と見定め、追い続けている。
陽動がうまくいった、といえばそれまでだが……
「どうも、好かれてるらしいな」
私は軽口で己を鼓舞した。と、それを否定するように神獣が怒気を放ち、吠えた。無表情に見えた獣の瞳に、怒りがある。
私はふと……この獣の過去と、今を思い出した。
人類の脅威、悪役として生み出された獣。その役割を奪われた獣。
私は……赤い剣を突き出しながら、己の口元に強いて笑みを浮かべさせる。
そして口をついて出た言葉は……私自身にとっても意外なものだった。
「……感謝してるよ、神獣ゼナベスティア」
神獣が、瞳を丸くした。少なくとも、私にはそう見えた。
風が吹く。木の葉が舞う。人と獣は剣と爪を光らせながら、一瞬の沈黙に包まれた。