扉をくぐると、無骨な石造りの窯が目に入った。すすけた天井と頑強な木の柱には香ばしい匂いが染み付いていて、良い香りが漂ってくる。手前には飾り気のない大きな木のテーブルが並ぶ。奥はパン工房、手前は食堂。食事処とパン焼きを兼ねた大型店のようで、なかなかの規模である。
倉庫に袋を格納すると、一息ついた青年は改めて頭を下げた。
「助かったよ」
私はやや芝居がかった仕草で一礼を返した。
「あなたの演説に心を打たれたまでです、オライリーさん。ビルート教授の演説より遥かに素晴らしかった」
青年は気恥ずかしそうに両手を振った。
「オライリーは俺の親方だよ。俺はまだ見習いなんだ」
青年はケインと名乗った。魔物の襲撃で店主が怪我を負い、今は代理で店を切り盛りしているとのことだ。

「その若さで店長代理とは凄い」
「他の店員も……だいぶ辞めちまったからな」
彼は頭をかき、俯いた。
「モンスターは襲ってくるし、例のなんとか連合って奴らもやたらと集会開いたりして、この辺もキナ臭きなってきたからさ……怖がって他に逃げちまったんだよ」
怪我をしたオライリー店長とその娘が辛うじて店を支えている。そんな状況で逃げ出せなかったのが、この青年をはじめとした僅かな従業員達というわけらしい。ケインはため息交じりに首を振る。
「俺だって勇者には魔王と戦ってほしいけどさ、そんなことより今日のパン焼きだよ」
「ケイン、大丈夫だった?」
と、奥の部屋から声が聞こえてきた。ケインは慌てて振り返る。
「お嬢さん! お嬢さんこそ、昼間は大変だったって……」
部屋から出てきた顔に、私は見覚えがあった。
「おや」
「あなたは……」
娘は大きく頭を下げた。襲撃の時、助け起こしたパン屋の娘だ。そういえば、バスケットに刻まれていた小麦のマークはこの店と同じものだった。
「お嬢さんもお世話になってたんですか!」
ケインは重ねて頭を下げると苦笑しつつ顔を上げた。
「こりゃ、是非ともパンを食べていってもらわなきゃ、気がすまないな」
我々はテーブルにつき、彼の好意に甘えることになった。
「旨いパンにありつけたわけだ」
ラミーロはテーブルに肘を突き、冗談めかして横目で私を見た。私は笑みを返し、シャビーとトーレスは所在なさげに辺りを見回すのだった。
*

窯が開くと、香ばしい香りが店中に充満する。籠に入れた焼き立てのパンは、具などなくても十分なごちそうだった。少しのバターとコーヒーの香りが食欲をそそる。外側のパリっとした触感と内側の柔らかい噛み応えが、熱と共に空腹を満たす。
「いいですねー、こういうの」
シャビーはご満悦だ。私も同感である。グランゼドーラの大通りに店を構えるパン屋だけのことはある。
「けど、味が落ちたって、文句もあるんだよな」
と、ケインは頭をかく。トーレスが即座に首を振る。
「おいしいですよ」
「ありがと。でもさ、値段をこれ以上あげるわけにはいかないし、原料が足りないから混ぜ物だってしなきゃいけない。騙し騙しやってるのは事実だよ」
頻発する襲撃、社会不安からくる原料の値上がり。そして先ほどのような謂れのない誹謗中傷。この見習いパン屋の苦労の源は、親方の怪我だけではないというわけだ。
「売らなきゃいいんじゃないッスかね?」
シャビーがフンと鼻を鳴らす。

「あんな奴ら、望み通り物流とまって、勝手に飢え死にすればいいんスよ」
相変わらずの極論ぶりだ。私はやんわりとたしなめ、ケインは肩をすくめた。
「言ったろボーヤ。誰だって、食わなきゃ死ぬんだ」
窯の中から、シュウ、と水蒸気の噴き出す音が聞こえてくる。命をつなぐ音、とケインは言った。
再び窯に戻りながら、彼は一度振り返った。
「俺はパン屋だからな。やることはやるさ。……それはアンタらも一緒だろ」
背を向けた彼に、私は最大限の敬意と共に一礼した。町を本当に支えているのは勇者でも防衛軍でもなく、日々の営みを守り続ける人々なのかもしれなかった。
再び窯が開く。バチバチと小気味の良い音が聞こえてきた。
ふと隣を見ると、シャビーも私と同じ姿勢だった。