続き
何をしてもダメな自分だと思うことより、何かをして結局ダメだったと現実を直視する方が辛いから、ダメな自分だと言い聞かせて何もしない。
ダメな人間だと自分から言うことより、他人からダメだと責められる方が辛いから、仕方ないんですと自分を守るために自分を否定する。
結局、全ての原因は恐怖にあるわけです。どうしても避けたい怖いものが先にあって、それらから身を守る術を、彼ら彼女らは自己否定するしか知らない。これが、過度に自身を卑屈に感じる人たちの実情です。私もそうでした。
楽なんですよ、そうするのが。意外でしょう?自分を自分で必要以上に否定する。まともな人からしたら、とても正気ではないです。ただ、それが本当に楽なんです。苦しいけど、楽なんです。こうやって生きている限り、絶対に避けたい怖いことからは逃れられるからです。
当然、弊害は多いです。まずメンタルが全く安定しない。当たり前ですね。自尊心を何も満たせず、自己肯定感を持てず、生きているだけで辛いことが多いです。鬱病などの二次被害に繋がることも多いです。私も2回鬱病になりました。
次に、良好な人間関係を築けないです。これも当たり前ですね。何をしても自虐的な人間なんて、辛気臭いったらありゃしないので、普通はネガティヴに感じます。また、相手は自分を認めて受け入れてくれていても、それを自分が信じ抜けないから、やっぱダメだったという結果になって傷つく前に、自分から距離を置いてしまったり、縁を切ったりしてしまうことも多いです。私もよくありました。
最後に、ほとんど未来がないです。やっていることは、とどのつまり究極的な自己保身でしかない。ひたすら我慢して最悪だけは来ないようにしているだけなので、時間が経てば解決するだとか、気が付いたら好転していたとかなんてほぼ起きないです。
ここまで色々と語りましたが、まあ結論どうでもいいです。結局他人の人生なので、どうするかの決定権は私にはないし。何をどう伝えたところで、全部否定的に捉えられたらそれまでだし。何を選ぼうが、他人の自由だからです。好きにしてくれとしか最終的には言いようがないので、どうでもいいです。
だから、あえて言います。そこから少しでも変わりたい、脱脚したいと思うのなら、私がどうやってそこから抜け出せたかを語りますと。
ここから先は、そういうお話。何か少しでもヒントやきっかけになれば、本望です。脱却した先でどうなっているかは、今の私を見てもらえたらいいだけですね。現在あなたが私に抱いているイメージが、そのままその答えです。
私が始めたのは、まずは認知療法でした。自分が何を恐れていて、自分がどうやってそれを対策していて、その結果として何が表面に出ているのか。
具体的には、自分が何も成し遂げられない無能だと他人に知られたくない。私は、これが自分の中で一番恐怖していたことでした。国際公務員になるという夢が折れ、挫折し自殺未遂までして。それでも頑張って何とか社会復帰が出来て一念発起してみたものの、25歳で余命宣告をされる。一体俄然、自分の人生で何なら成し遂げられるのか。何もできなかった。無能に等しい。早死になんて関係ない、そもそもが無価値だった。そう思い込むことで、何も成せない自分という現実から目を背けていました。そして、その結果として、何をやるにも言うにも否定的だったり、他人の粗探しをしては過度に追い立てて自分の無能さを覆い隠そうとしたり、非常に他者に対して攻撃的になっていました。自分のことを自分で語る時には、とにかく自己否定してばかり。それなのに、他人を語る時には他者否定もしてばかり。そういう感じでした。
まずは、これを認知して、自覚しました。そして、素直に人として良くないなと感じました。どうせ早死にするのなら、せめて最期くらいは自分で自分を認められるくらいにはなろうと思ったのが、私が認知の歪みを正そうとした理由です。
長くなったので分割