元来こんな性格なのか、何かきっかけがあって変わったのか、知る由もないし興味もない。ただ、自分自身の性根が捻じ曲がっていることは、嫌と言うほど知っている。性格が悪くて結構。人と変わってて結構。面倒くさくて結構。関わりたくなくて結構。いつからそう思えるようになったのかなと振り返ってみれば、忘れもしない。
まだ私がアイデンティティの確立に苦労していた時分。人から嫌われるのが怖いと感じる時があった。否定されるのが辛いと感じる時があった。月並みの感覚が私にもあって、しっかり若者をしていた。そんなある日、友人に愚痴をこぼした。
「私って冗長すぎるし、話も聞きたくないめんどくさい人間だよね……」
これ自体が面倒くささを如実に物語っているなと今の私は感じるが、それはさておき。
「別に良いんじゃない?私はかるみんの話好きだけどね。そんだけ話題が続くのすごいなっていつも思ってる」
まあ良くて本音3割建前7割ってところだったんでしょうが、当時18歳かるみんちゃんには響きましたね。そう思う人もこの世にはいるんだ。面倒くさくてダメなものと、面倒くさくなくて良いものの2種類しかないんじゃなくて。面倒くさいけどダメじゃないものもあるんだ。ハッとそう感じたのを、今でも良く覚えています。
これはただの自慢なんですが、今の私は柔軟性に自信があります。それもまたよし、が口癖のような人間ですからね。大抵のことは許容出来るし、臨機応変に対応できる自信もある。その原点を探ると、間違いなく上記の瞬間が自分の中で分水嶺になったでしょうね。
あるがままの自分自身を受け入れるのは、開き直ることとは全然違います。良いところも悪いところも、しっかり目を瞑らずに受け入れて。そして、悪いと思ってることは自分が悪いと思っているだけで、実は悪くない側面もあることに気が付くことです。逆もまた然りでね。どんどん解釈の幅を広げて、視点を増やして、良いところも悪いところも好きになる。これが、あるがままの自分を認めて受け入れることだと、私は思っています。
そういうわけで、素直になれない。口が悪い。回りくどい。そういう人間のことが、存外に嫌いじゃない人もいる。そんなお話を書いてみたつもりですが、いかがでしたでしょうか。
もちろん、社会通念上は最低限のTPOが求められますので、常にそう在って良いわけではないです。ただ、それ自体がダメなものだと、全面的に否定したり、卑下したりする必要もないのかなと思います。
私が、友人の言葉で救われた経験があるように。私も、私の言葉で誰かを同じように救えたらいいなと心から思ってる。届くと良いね。