『母親になって、後悔してる』
イスラエルの学者が出版したそんなタイトルの本が、今世界に波紋を呼んでいるらしい。
先日のテレビの特集でそんな話を聞いた。
ここで言う『後悔』というのは、産まなければよかったという意味では無い。
子どもを愛してはいるけれど、自身の人生はもっと選択肢があったのではないか…そんな『後悔』である。
ドイツでこの本が出版された時、批判の方が多かったらしい。
曰く、『その気持ちは表に出すべきではない』、『産む前に考えるべき事』、『子どもの事を考えたらそんな事は言えない』
…私はこの話を最初に聞いた時、率直に言えば『後悔』という気持ちが分からなかった。
広義で捉えれば、彼女達は自分で選んでその道に進んだわけで、望んで子どもを授かったのではないのか。理解できなかった。
キリスト教の聖書に於いて、受胎告知と呼ばれるエピソードがある。
一般的に、処女であった聖母マリアに対し、天使ガブリエルがマリアが神の子を妊娠した事を告げる…そんな話だ。
その時点で、マリアの人生はキリストの母であると定義付られた。
『聖母』である事が大事であり、『マリア』である事は殆ど顧みられない。
昔はそれで良かったのかもしれない。
生きる事に精一杯で、余暇を過ごすことができず、『母親』である事が当たり前だった。
しかし、今は違う。
多くの女性達は社会に進出し、自分のやりたい事をやれる。自身を見つめられるだけの余暇もできた。
妊娠し、子どもを授かった時点で彼女達は『母親』になる。
彼女達の『個性』よりも『母性』の方を世間は重要視する。
『母親』は子どもを愛する事が当たり前であり、子どものために身をなげうつのが当たり前であると考える。
子どもが産まれる事で、多くの女性達が今までとは全く違う価値観で見られるのである。
育児で弱音を吐けば、『母親としてどうなのかと』責められ、職場では『今まで出来たことがなんでできないの』と言われてしまう。
『母親』に寄り添ってくれる『父親』は果たしてどれほどいるのだろうか。
仕事を言い訳にしていないか、家事を分担したつもりになっていないか。
『母親』の苦悩を和らげられるのは、共に歩んで行くと決めた『父親』だ。
『母性』に彼女達は魂を潰され、自身のやりたい事を、人生を諦めざるを得なかった。
故に、彼女達は『後悔』するのだろう。
『母性』というものを『母親』が持つのが当たり前であるという固定観念は、今後変えていかなければならないものなのかもしれない。
彼女達の『自分らしさ』と『母親らしさ』が両立できて、『後悔』のない人生を歩める社会になる事を願いながら、今回は筆を置こうと思う。