自分はボス難易度早期解放に肯定的である。
ぶっちゃけ全滅したくないので、死にたくないので緩和は1ヶ月後とは言わず
実装時から選択させて欲しいと考えている。
・・・が、強ボスやら邪神の宮殿やらで死にまくってるのに特にそこに抵抗はない。
なんでメインストーリーのときはあんなに全滅が嫌になるのだろう・・・?
冷静に自分の気持ちの違いを考察してみた。(以下、個人的な感性についての話)
・お前を強敵と思いたくない
「全滅が許せるコンテンツ」と「全滅が許せないコンテンツ」に分けてみた
許せる→強ボス、邪神の宮殿、常闇の聖戦、ver最後のボス(ネルゲル、ver2.4ラスボス、ver3.5後期ラスボス)
許せない→ストーリー上のボス、サブクエストのボス
どうやら「最初から強敵であると認知できるボス」には特に全滅に抵抗はないようだ(無論、死なないのが一番だし、勝つべく全力を出しているが)。
エンドコンテンツやストーリーの終端のボスには問題ない。つまり、
道中や寄り道で出くわすボスは許せないということになる。
エンドコンテンツのボスは威厳はもとより、単純にスペックも強大ゆえ、死んでも仕方ないと思えるものの、ストーリー上のボスやサブクエのボスは往々にして"初見殺し"を仕掛けてくることが多い(と思う)。
正直、自分は「初見殺し」が大嫌いである。ドラクエ含めた古今東西のゲームに初見殺しは山ほどあるものの、どれひとつとして面白いと思ったことはなく、しらけることがほぼ毎回。最近でもポケモンでぬしポケモンという初見殺しの塊のようなボスが設定され、胃を痛めている。
話がそれたが、初見殺しでしか食い下がれないような"小物"に全滅させられる屈辱が嫌いなため、道中のボスとは出来るだけ戦いたくないのである。まさに「お前を強敵と思いたくない」である。
・準備ができない
別の視点で見てみよう。過去のドラクエにもなかなか小ざかしいボスたちは多かったものの自分はほぼ全滅したことがない(ブオーンは別格)。それは自分のプレイスタイルが「十分レベルを上げ、装備を整えてから挑む」という形だからであろう。小ざかしかろうが、レベルを上げることで対処しやすかったりねじ伏せたりできるのである。最新作のイレブンもこのプレイスタイルだったために全滅ゼロ(逃走もゼロ)で裏ボスも倒した。すこぶるいいプレイ感覚だった。DQ10プレイヤーなら知ってのとおり、DQ10でこの方法が使えるのはせいぜいver2.4ラスボスくらいまで。それ以降はレベルを上げてもほぼ付け焼刃なステータスアップとスキルポイント上昇しかない上、レベル90代を前提としたボスが多いからである。ゆえに全滅の危険があるからレベル上げで準備を・・・とは行かないのである。そこがかなりしんどく感じている。「全滅上等!オラわっくわくするぞ!」な戦闘民族気質なトップ集団が眩しい(偏見)。
・ストーリーをぶった切る邪魔者
もうひとつ、気になるのがストーリーの流れだ。ゼルドラドのような敵軍の首領・幹部と敵対するとなればこちらも気合が入るものの、DQ10のストーリーでは稀有な存在である。どちらかというと遭遇時はわけの分からないまま襲われたり、ひどいときにはたまたまその場にいただけ、住んでたら主人公たちが不法侵入してきたから、といったまったくプレイヤーの気持ちが盛り上がらないボス戦もそれなりにあったりする。戦いに勝ってようやくストーリーに絡んできたりするため、負けると意味不明なままそこでストーリーが中断してしまうのだ。また、ボスに勝てないからほかの人と戦いたい、けどストーリーは自分のペースで進めたい、という状況もあり、ストーリーを進めること自体が面倒になってきてしまう。なかなか厄介である。ボスがいないとストーリーのメリハリがなくなるのに、居たら居たで障害になるという悩ましいポジションである。
・総括
振り返ってみればなかなかに自分はワガママであると感じる。
この日誌を見てる人の中には「全く共感できない」という人も「ちょっと分かる部分はある」という人もいるであろう。「早期難易度選択解放すると強い敵と戦わない人が多くなってオンラインらしい盛り上がりがなくなる問題」と「個々のプレイヤーのプレイスタイルの相違」。"実装時強い難易度固定、1ヵ月後緩和"は開発側の苦肉の策であるのがよくわかる。この問題が解決する日は来るのだろうか・・・。
・おまけ
キラーパンサーが仲間に出来るようになり盛り上がりますね。自分は"ボロンゴ"と名づけました。DQ5プレイヤーにとっては結構意見分かれそうですね。
ということでとりあえずボロンゴをもふもふする毎日を送ろうと思います(インするかはさておき)。もふもふもふもふ