例えば世の中には、所謂ご都合主義とか大人の都合とか夢オチとか、そんなままならないというか理不尽というか、とにかくどうにもならないような結果が待っている場合がある。
そこに納得などという都合のよい解釈は当たり前のように存在せず、ただただ目の前の現実を受け入れるしかない。
ただ勘違いしてはいけないのは、その結果を導き出す為に取った選択は自分自身が行ったということで、憤慨したくなるようなことだとしてもそれを認めざるを得ない。
仮にそれがトゥルーエンドだとしても、それでもやっぱりハッピーエンドを望んでしまうのは、それは自分がまだまだ未熟だという他ない。
誰しもが自分の人生を生きる上で、その人自身がその人生の主人公なのだ。
終わりは幸せが望ましい。
自ら会社を辞めるという選択をした場合、その結果無職になったとしても誰に責任が有るわけでもなく、それは自分の責任でしかない。
例えそこにどんな理由があっても、どんな講釈を並べようとも、辞めたという結果だけは変わらない。
人のせいにするのはとてもとても簡単で、出来ることなら楽な方へ、川の水が川
下に流れるかの如く流されてしまいたい、とそう考えるのが大半だと思う。
斯くいう僕も、日々のキラキラマラソンを何かにつけてサボろうとするのは、そんな気持ちが多少でも働くからに他ならない。
それでも、よくもまあ毎日続けているのは、きっと何か理由があるのだと思う。
例えば、お金が欲しい、とか。
割りと明白で簡単な理由ではあるものの、リアルで考えてみると至極納得のいく理由である。
お金がなければ生活が出来なくなり、そうなると当然死んでしまう。
極論ではあるが、働かなくてはならないとする為の理由としては、これ以上ない。
そこまで分かった上での離職であり、そこに同情の余地はない。
それこそまだまだやりたいこともあったし出来れば辞めたくなかった、という気持ちもあったのかもしれない。
辞めたくなかった。
でも辞めた。
これが全てである。
辞めなくて済む他の可能性を見出だせなかった結果でしかない。
はてさて、そんな僕はそれでもやっぱりハッピーエンドが大好きで、そんな糞食らえな下らない結果なんて物は見て見ぬふりを決め込むのだが、如何せん解せないのは自分で掲げた8月内での全職カンストが達成出来なかったこと。
こんな結果は望んでいない。
僕は一生懸命頑張った。
リアルもそこそこ忙しかったんだ。
だからハッピーエンドが大好きな僕は思う。
レベル課金の実装を切に願う。
こんなご都合主義、認められないだろう。