【当日誌は、第3回アストルティア・プリンス賞を受賞されたナルミ様の作品「雪原王ラギの伝承」をモチーフにした個人的な趣味全開の2次創作(3次創作?)です。その為筆者の個人的な解釈や、メインストーリーの若干のネタバレを含みます。ご了承ください。ナルミ様ご本人には連絡等は一切していないので、何かしら問題があった場合は自主的に削除いたします。】
雪原王ラギ――そう呼ばれた人物は、今より約600年前にいたと言われている。
現在ラギ雪原と呼ばれている一帯は、600年前の時点ではまだ名がつけられておらず、単純にランガーオ山地の一部の豪雪地帯と認識されていた。
年中雪が降り続ける極寒の雪原において、たった一人で暮らしていた男がいた。男の名はラギ。雪原の真ん中の粗末な小屋の中で寝泊まりし、弓を持ち、まものや野生動物を狩りその肉を食らって生きる、まるで野生の肉食獣のような生活をしていた。
彼がいつからそのような生活を続けていたのかは誰も知らない。妻や子供がいたという話も、子孫がいるという話もない。そもそもこの伝承は、ラギ本人が自分の過去を一切語らず、また自身が遺したとされる記録や文献の類もなく、過去に彼に弟子入りした事があるという自称弟子によるたった一つの記録と、人々による口伝でしか残されていないのだ。
記録によれば、自称弟子が最初に彼を発見した時には、既に年齢は40代半ばを超えており、しかし鍛え抜かれたその肉体は全く年齢を感じさせないほど逞しく、特別厚着をしているわけでもないのに寒さに身震い一つしなかったという。
エモノを狩り肉を食らい、暇な時はひたすら木や巻き藁等の的に向かって矢を放つ。彼がしていた事はたったそれだけである。
これだけならばただ単に寒い中修行するだけのマゾの狂人だが、彼が後に雪原王と呼ばれることになる要因は、その射撃の腕前にあった。
――誰一人として、彼の放つ『矢』を『見ることができなかった』からである。
弓を持ち矢を番え、構えをとる。そこまでは誰でも視認することができるのだが、矢が弓から放たれた、その瞬間にはもう的が矢に射抜かれており、一拍置いた後に風を切る鋭い音とエモノが貫かれる音が響く。
どんなに距離が離れていても。
どんなに強烈な吹雪の中でも。
見えない一撃は確実にエモノを射抜く。
彼の放つ一撃は音よりも早く、針の穴を通すように正確だった。
ランガーオ山地の豪雪地帯にとてつもない弓の達人がいる。いつの頃からかそんな噂が人々の間で流れ出し、人々は彼を訪ねるようになった。
求道者として正面から決闘を申し込んだある武闘家は、至近距離から彼に殴りかかる前に膝に矢を受けて冒険者を引退した。
彼の技に疑問を持ち、もしかすると転送魔法の類を使っているのではないかと疑ったある魔法使いは、しかし彼から何の魔力も検知することができず、果てに不意打ちで彼の意識の範囲外から遠距離魔法を叩き込もうとしたところを喉に矢を受けて二度と呪文を唱えられなくなった。
どこまで本当かわからないような噂を聞きつけ、やがてラギの元には弟子入り志願者や士官の誘いが来るようになった。記録を残した自称弟子もこの中の一人だったようだ。
ラギは弟子入りを拒むことはしなかったが、彼の傍で修行を続けることができた弟子は一人もいなかった。何故なら、吹雪の中娯楽らしい娯楽も無い血生臭い修行生活についていける者が誰もいなかったからだ。
自称弟子も最初の数ヶ月であまりの苦行に音を上げてしまい、以後は一年に一回の頻度で彼を訪ねる程度になったらしい。
弟子入りは拒まなかったラギだが、士官の誘いを受けることはなかった。どんな富を積んでも彼は首を縦に振らず、何故かと聞かれれば「この地を離れることはできない」の一点張り。詳しい事情を聞いても誰にも語ろうとはしなかった。
極地で己を鍛える為だけに生きる――極端にストイックなラギの生き様は、『苦境の中に身を置いてこそ、己は鍛えられるものである』というオーガの思想を体現したようなものだった。
雪原の王、ラギ。
人々が彼をそう呼びはじめたのは、あらかじめ決められた必然だったのかもしれない。
【後編へ続く】