件のウェディ、俺が勝手に「借金取り」と読んでいる女の本名を、俺は知らない。
俺が不意の出来事で借金を負い、この女と面識を持ってから2年程となるが、その間に俺は一度も彼女の名前を聞かなかった。
何しろ相手は、基本的に陽気な性格を装っているがその実はかなり短気で、ちょっとでも発言を取り違えば、社会的にはもちろん物理的にも俺の命を消し飛ばせるような権限を持つ、おっかないことこの上ない女である。そもそもの質問を振りにくいのもあるし、俺自身そんな過激な人物の名前は出来ることなら知りたくない。
この女の凄い点は、「金融業者」という一見すると戦闘のせの字も書けないような非戦闘民族臭漂う業種にも関わらず、一般の冒険者顔負けの戦闘力を誇ることだ。一回りも身長が大きい俺の体を宙に浮かす脚力、一度掴まれたら絶対に振り払えない手の握力に加え、彼女は呪文の達人なのである。一度捕捉されたら、走って逃げたってメラゾーマで狙い撃ちされてしまう。喧嘩になろうものならひとたまりもない。
男として情けない話だが、俺は純然たる膂力の面からして、借金取りに完敗を喫しているのである。
彼女の名前を知ろうと思えば、方法はなくもない。彼女は俺の借金主なので、借金の貸付証明書を見れば、一応彼女の名前も書いてあるはずだ。しかし、その証明書は常に彼女が持ち歩いていて基本的に確認が出来ないし、そもそも載っている名前も偽名であるらしい。そんなんでよくも契約を取り付けられたものだと、借金持ちの当事者である俺ですら感心してしまうのだが、借金取りの弁によれば、俺の借金の契約は「非常にアクロバティックかつアグレッシブな交渉の賜物」であり、金額を除けば法律上は至極全うな契約で成り立っているという。
だから、例え俺がその道のプロである弁護士に借金の帳消しを頼み込んだとしても、法律的には問題がないからどうすることも出来ないと突っぱねられてしまう。
例えというか、実際に頼んでそうなった。
オーガの強面な弁護士を眼前に連れてこられても、物怖じするどころが実に堂々たる正論で舌戦を渡り合い、遂には弁護士に泣きっ面をかかせて追い返してしまったときの借金取りの得意顔といったら…法律が眼前の女性に木っ端みじんに敗れ去ったのを見て、俺は泣きたい気持ちを通り越して、いっそ清々しい気分になった。
ちなみにその後、俺は借金取りに首根っこを掴まれてベコン渓谷まで連れられ、ネクロバルサやらグレイトライドンやら強烈な魔物の群れに放り込まれて、一晩中逃げ回るハメになった。二度とあんな思いはしたくない。
俺はその日から、絶対に借金取りには逆らわないと心に固く誓った。
というフリをしている。
どうにか3億とちょっとという途方もない借金を軽くし、同時に借金取りをギャフンと言わす手立てはないものかと、日々ない頭を巡らせているのだが、今のところ「真面目に働く」以上の良い手立てを見つけられていない。
ああ情けない。世界一ビッグな男になるという夢を抱いて家出までしたというのに、この体たらくをなんとする。いっそ一度死んで、赤子からやり直した方が手っ取り早いのではないか。
という、全く実行に移す気のない自殺志願的思想を抱きつつ、俺は日々金策に走っている。
そんな俺を見て、借金取りは古い童話に出てくる、黒と紫の縞柄をした悪趣味な猫を思わせる、意地悪な笑顔を浮かべながら俺のことを笑うのだ。
「アンタは死ぬまで、あたしの狭い手のひらで遊んでいるのがお似合いだ」と。
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