さて、母について話そう。
一般家庭における子供のあやし方、いわゆる「ほーら高い高い」とか「祭り囃子を見せるために肩車してやろう」といった行為は、大抵父親の役割らしい。
我が家の場合、父親はドワーフであって、子供にして自らの背丈に近い人間相手では、高い高いとか肩車とかはちょっと荷が重かった。
そのため、その役目はもっか、オーガである母が担うことになった。
オーガの背丈で人間を肩車すれば、大抵の人混みはおろか、ドワーフの住居であれば屋根に手が届く高さになった。
母はまんざらでもなかったようだが、子供の俺はその高さに恐れをなして、母の頭にしがみついて以降、頑なに母の肩車を拒否した。
その母であるが、町暮らしにしては腕っ節がかなり強い方だった。それもそのはず、母は元冒険者で、その上元軍人なのだ。
随分後になって聞いた話だが、母はガートラントの名門軍人の出で、幼い頃から剣術を仕込まれ、その道では神童と呼ばれることもあったのだそうだ。冒険者としてガートラントを旅立った後、紆余曲折を経てグレン軍へ入団。俺がスクールの中等生になる辺りまで、母はグレン城の魔物討伐部隊に勤めていた。「地上最強の軍人」と呼ばれ恐れられていた女傑なのだ。
幼い頃の俺は、そんな事情は知らなかったものの、自分の母親が世間離れした強者であるということはうっすら理解していた。ガタラ原野のピッキーやスカルガルーを蹴って追い払ったとか、運動会の保護者対抗綱引きでドワーフ10人に勝ったとか、およそ婦人離れした武勇伝を打ち立てていたのだから、そりゃあ男児心に憧れもするだろう。
だから、『英雄になりたい』という願望を持っていた俺が、母に『弟子入り』したのもごく自然な成り行きだった。
家における母は、普段はぶっきらぼうな態度をとりつつも、子供の面倒見は良かった。クチではめんどくせえ、というようなことを言ってはいたが、前述の呪文くそ雑魚問題で落ち込む俺を見かねたのか、最後には弟子入りを快諾してくれた。
「弟子入りとは言うけどね、アタシが教えられるのは基礎体力作りと、護身用の体術だけだからね。ご大層な必殺技とか、物騒な武器術はもっと大きくなってから、どっかの団体に入って学びなさい。
あと、もう一個約束して。カラダが出来上がったとしても、魔物と戦おうなんて思わないで。アタシといると勘違いするかもしれないけど、魔物は本来、自分をかなり鍛え上げないと戦っちゃいけない相手なんだ。連中は弱い奴も強い奴も、ヒトを見境なく襲うやつだ。付け焼き刃の技術で太刀打ちなんかできないから、アタシが許可するまで魔物とは絶対戦わないこと。わかった?チカラ試しはスクールでやりなさい。クソガキは全力で殴っていいから」
それが母の最初の教えだった。最後のフレーズだけ親父の指導が入り、「いじめっ子と戦うときだけ拳骨をふるえ」に訂正されたが。
それからは母指導の元、修行の日々を送った。当時住んでいたグレン城外周の走り込み(親同伴)、腹筋背筋などの基礎トレーニングが大半で、ほとんどは1人で課題の量をこなした。母が遠征により不在がちで、つきっきりの指導が難しかったせいだ。
休日、母が家に帰ってきてから体術の稽古…ということにはなっていたが、へとへとの状態で帰ってくるや、母は休日のほとんどの時間を寝て過ごした。流石に母を叩き起こして指導を迫るのは気が引けたため、体術の稽古は延期されることが多かった。
そのため、基礎体力は人並み以上に付いたが、実戦的なところはからっきしという有様だった。当時の同級生はオーガばかりだったので、脳筋種族のバカみたいな身体能力には全く追いつけなかったものの、ケンカになりそうなときに脱兎の如く逃げ出せるようになったのは良かった。
俺の一家がグレンからガタラに引っ越した後、転校先の学校で弟が学校一のひどいいじめっ子クソ女に目を付けられたりして大変だったが、俺がそのクソ女との戦いの日々を生き延びれたのも、幼き日の特訓によるところが大きいだろう。
余談だが、随分後になってとあるバトルマスターに弟子入りしたとき、「技術はクソ、体力はまあまあ」的な評価を受けた。以来、体力については俺の数少ない自慢点となっている。
(続き・ https://hiroba.dqx.jp/sc/diary/127254852654/view/6787916/)