幼い頃の俺は生真面目だったので、両親の言いつけをよく守った。母の課題は期限までにきっちりこなしたし、親父の忠告通り、可能な限り無用なケンカは避けるようにした。
両親ともそんな俺の様子に喜び、よく目にかけてくれた。心身ともに充実した日々を送っていたわけだ。
そんなある日、「音速拳事件」が起こった。
珍しく昼寝しなかった母と、家の中庭で組み手を行ったときのことである。俺は自分よりはるかに背が高い母の体勢を崩すため、母の足を払ってひざまつかせた。母と組み手を始めて以来、初の快挙である。
そのまま追撃に出ようとして前に出た俺に、母は静止の声を掛けるよりも前に、渾身の一撃を叩き込んだ。母の正拳突きを胸にまともに喰らった俺は、文字通り宙を舞った。そしてその勢いのまま背中を壁に打ち付け、失神してしまった。
全身の関節の回転を連結加速させ、音速を超える打撃を放つ---という実にファンタジックな格闘技が、とあるエルトナの武術に伝わるらしい。俗に言う音速拳である。
若き日の母は武者修行を通して、剣術のみならず様々な格闘技を習得していた。その身に付けた技のひとつが、よりにもよってこの日炸裂してしまったのだ。
俺の生涯初めての善戦により、体勢を崩されて焦った母の身体が、半ば自動的に動いてしまったのだという。
体勢を崩した中で放ったため、本来の威力よりも大幅に弱い一撃ではあったが、種族違いの子供程度であれば、容易く吹っ飛ばせるだけのチカラはあったのだ。
半日経って、俺がベットの上で目覚めると、顔をくしゃくしゃにして泣きはらしていた母に抱きしめられた。
人間の子供を、オーガが全力で殴り飛ばしたのである。当たり所が悪ければ死んでいたかも知れない。
それはもう、母も怖かっただろう。耳元で何度も何度も「ごめん、ごめん」と謝られた。
俺も組み手の際「やりすぎた」と薄々思っていたため、俺も母に謝った。随分長い間抱き合ったままだった。
その後、母は鬼の形相を浮かべた父にひどく怒られ、週末中寝込んでいた。図らずも俺を思い切り殴ってしまったことが想像以上に応えたらしく、休みが明けて職場に戻っていくときもげっそりしたままだった。
俺も俺で、組み手のとき母を容赦なく攻め立てたのが今更後味悪く感じられ、母とまともに顔を合わすことができなかった。スクールに行くときも、毎朝欠かさず母に言っていた「行ってきます」の挨拶も言えなかった。
この日を境に、俺と母の関係が微妙なものになっていった。
殴られた胸の痛みは数日で引いたものの、組み手をやろうとするたびに、母のぶん殴りが頭によみがえり、治ったはずの胸がズキズキと痛むようになった。耐えようにも嫌な汗が吹き出し、まともに構えることすらおぼつかなくなるのだ。
俺はそんな自分の変化に困惑し、母との組み手を忌避するようになった。
母の方は割と早期に吹っ切れたらしく、俺をしきりに稽古に誘うようになったが、当の俺の方が組み手を避けるようになってしまった。
それに、スクールの中等生に差し掛かった俺は、当時ガタラで流行しだしていた「舞台」にはまりだした。有志の冒険者が住宅村の区民会館を借りて、古代の英雄譚や有名な喜劇を演じるのだ。元々英雄譚の類が好きだった俺は、スクールの帰りに区民会館へ入りびたるようになった。無料で見れたのも学生には都合がよかった。ちなみに、この頃はまっていた演目こそ、前述した『百刀の剣士』である。
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